SantoStory 三都幻妖夜話
R15相当の同性愛、暴力描写、R18相当の性描写を含み、児童・中高生の閲覧に不向きです。
この物語はフィクションです。実在の事件、人物、団体、企業などと一切関係ありません。

神戸編(9)

「蛇ですよ、本間さん」
 神楽神父はカッチカチの標準語で俺にそう言った。
 亨がズタボロにした海道家の居間に座り、蛇から人型に戻った亨を抱いている俺を、十字架握って、廊下に佇み、じっと睨みつけながら。
「そうです、蛇ですけど、神楽さん。こいつは俺の式神なんです」
 それに真面目に答えつつ、なんでこの人、標準語なんやろって、俺はまたそれを思った。
 神楽神父は、事故現場から海道家への道々、にこやかにハンドルを握りつつ、自分は神戸出身やと言うた。
 たぶん俺らが暗かったからやろ。そんなに明るい性格には見えへん人やのに、ずっとひたすらにこやかで、当たり障りのない身の上話を、俺を相手に話してくれていた。
 後部座席では顔面蒼白の竜太郎が端にいて、真ん中に赤い鳥が、俺は最後に乗ったせいで、右端の席に。しかしこうなるともう、竜太郎の隣でも、鳥の隣でも、気まずさの度合いなんか似たようなもんや。
 事故を起こした鳥だけが、にこにこのんきに微笑んでいて、蔦子さんも竜太郎も青い顔。俺は俺で、首が痛いのもあって、耐えようとは思うものの、どうにも苦虫かみつぶしてた。
 霊能者の勘か、神父は鳥には話しかけへんかった。これが人ではないということは、神楽神父にも分かったらしい。せやけども、邪悪さの欠片もない赤い鳥のことを、どう判断したもんか、悪魔祓いエクソシストは決めかねた。それで無視した。そういう事みたいやった。
 昔、六甲あたりに住んでいたと、神楽神父は俺に話した。聞いてるように見えるのが、俺だけやからやった。それでも努めて気さくに話す神父はどうも、俺らを励まそうとしているようやった。
 見るからに、真面目そうな奴。せやけど綺麗な顔に似合わず、性格が暗そう。写真だけでは分からなかったその事実を、俺は肌で感じて、無理して話さんでもええのにと、何や気の毒になった。だって蔦子さんも竜太郎も、たぶん鳥もや、恐ろしいほど話聞いてへん。さすがは海道家のメンバー。なんて自由な人々や。
 聞いた話はこうやった。
 父親が貿易の仕事をするイタリア人で、家具を扱う商売やったけど、地元神戸の女性を見初めて結婚し、自分は半分日本人やと言うた。二十一までは二重国籍で、ほんまに半分日本人、半分イタリア人やったんやけど、今の日本の法律で、国籍をふたつ持つことはできない。せやから悩んで悩んで、母方の日本国籍をとることにした。
 だから今、自分の名前は神楽遙かぐら ようである。しかし元々のフルネームは、ロレンツォ・遙・神楽・スフォルツァである。日本を離れたのが十歳のころで、それからずっとロレンツォなので、新しい名前にまだ慣れない。
 そう言う神父は今、二十二歳になりたてやと言うた。
 せやから、ほとんど同い年やねん。
 しかし神父はアホでヘタレの俺とは違い、ほんまもんの秀才やった。
 十歳で日本を離れ、それから飛び級飛び級で、あっと言う間に大学を出た。医学を修めつつ、子供の頃からの希望やった神学も同時進行で学び、最近卒業したので、神父になった。そして悪魔祓いエクソシストに。
 子供のころからカトリック信者の父に連れられ教会通いで、いつも世話になってた神父さんから、この子は誰か師を得た方がよいと忠告されていた。天使や聖霊が見えたからやった。
 聖霊というのはキリスト教の神さんの息みたいなもんらしい。それについては訳の分からん話で、俺は聞いても煙に巻かれたような話やと思った。
 三位一体って、なに。
 キリスト教って、めったやたらと理屈っぽくて、俺にはさっぱりピンと来えへん。
 とにかく神楽神父には、子供の頃から天使が見えた。それから悪魔サタンも見えたんや。それを通っていた教会の神父に懺悔室で告白すると、すぐにもっと力のある師についたほうがよいと父親が呼ばれた。
 せやけど父親は現実的な人やった。はいはいと神父の忠告を有り難く聞くふりはしたが、聖霊が見えるという息子を、嘘つきやと思った。
 きっと何か不満があって、そんな途方もない話をしてみせ、周りの気を引こうという腹やと疑って、そんな我が儘な息子をますます厳しく躾けることにした。
 しかし躾で霊能力が消えるわけはない。信じてくれへん親への反発もあって、神楽少年はますます天使や悪魔サタンを見るようになった。主に悪魔サタンを。
 見つめれば悪魔サタンも、神楽少年をじっと見つめた。そして気づけば立派な悪魔憑きで、時には趣味のいい家具で飾られた、おとんご自慢の居間を、騒ぐ悪霊ポルターガイストがめちゃくちゃにした。
 それで父親は諦めて、日本での商売を部下に任せて、妻子とともにイタリアに帰ることにした。そこにはヴァチカンがあり、悪魔祓いの専門家が居るからやった。
 神楽少年はヴァチカンにおいて、悪魔祓いを受けた。そして医者に助けられた子が、本人も医者になるノリで、自分もその道を志したというわけや。自分のように、悪魔サタンに苦しめられる人々を救ってやるのが、神が自分に与えたもうた使命やと思った。
 医者というなら、神楽神父は医者でもあった。
 ヴァチカンで霊能力が証明されて、嘘つきの誹りを逃れ、家族との折り合いの悪さからも逃れたところ、自分に人の病気や傷を治せる奇跡が起こせることが分かった。精神的に解放されて、能力も目覚めたということらしい。
 それやったらついでに医学もやっとこかという事で、神父は医学部にも通った。つまりこの人、神学部のついでに、近所にあったし医学部に通ったっていうことらしい。神学が本命で、医学がついで。
 そんな人もいてるんやと、俺はなんとなく不思議やった。
 医学部ってもっと、それ一本で真面目に通うもんやと思うてた。
 とにかく神楽神父は、僧衣の上に白衣。普段は病院にいて仕事して、悪魔祓いエクソシストが必要になると、白衣を脱いで本性を現す男。
 今日はその、本性のほうで来てる。
 黒い僧服に白い襟、胸には銀の十字架で、海道家の居間に現れた騒ぐ蛇ポルターガイストを、悪魔サタンやと信じてる目で見てた。
 違います、こいつが騒ぐんは、悪いからやない。アホやから。痴話喧嘩が極まってもうて、こんな荒事になったんです。
 しかしそれを言う訳にはいかず、俺の説得は要領を得なかった。
 神父は俺らと海道家に着いた後、ややあってから携帯電話に呼ばれて、ちょっと失礼と離れのほうに姿を消していて、やっと戻ってきたところに、大暴れしているでっかい白い蛇を見た。それは俺を殺そうとしていた。せやから助けなあかんと思うたらしい。それは神楽神父の職業病やった。悪魔《サタン》に苦しむ本間暁彦を救うべしというのは。
 筋が通っている。確かに亨は俺を殺そうとしてた。
 せやけどそれは前半戦や。ハーフタイム以降、こいつはそれほど本気やなかった。なんや知らん、勝手に照れてもうて、もじもじしてただけ。
 でもそれも、天井に頭の届くような、部屋いっぱいの巨体やねんから、じたばたしたらあかんねん。蔦子さんのテレビを壊して、ただで済むと思うんか。済むわけあらへん。
 それにしても神楽神父は、亨を見てからしばらくの間、一体何をぼけっと突っ立っていたんやろ。まさか怖くてビビってたってことはないと、思うんやけど。
「式神というのは、何ですか。悪霊ではないのですか」
 また、カッチカチの標準語で、神楽神父は廊下から叫ぶようなストレス声やった。
「悪霊ではないです……」
 俺は自信なく答えた。
 ほんまにそうか。実は悪霊なんとちゃうか。どう見ても悪霊やったで、さっきまでの亨は。だって魔闘気出てたもん。
 それに俺はこいつに、何をしたんや。なんや一瞬、気が遠くなるくらい頭に血がのぼって、俺はキレてたんやろ、完全に。
 そこまで怒ったことがない。まるで自分が自分でないようで、あんたは何があろうと怒ったらあかんえと俺を躾けてた、おかんの考えが正しかったことが証明された。
 俺は亨を殺そうとしてた。実はほんまに殺ってもうたんやないか。自分の手にあるその時の、手応えの名残をまだ感じて、俺は懐いてる亨を抱きつつ、微かに震えてきてた。
 何でそんなこと、してもうたんやろ。カッとしたんや。俺以外のやつに、こいつが体を許したという話を聞いて、普段の自分が、ふっとどこかに消えたみたいに。
 ああもうこの神は、殺すしかない。どうしようもない奴や。殺して食うてまうしかないわって、そう思ってた。
 何それ。何なんや。何で俺は、そんなこと思うてたんやろ。
 俺は最近時々、亨の血を吸いたい時がある。どうしようもなく燃えて、こいつを抱いてる時なんか、ほんまにもう辛抱たまらんようになって、亨の血を吸う。それが物凄く心地いい。亨はそれに悦んでるし、それが普通とは思わんまでも、別にええやろって思ってた。
 誰が見てるわけやなし、別にええやん。亨も幸せ、俺も幸せなんやったら、血を吸うぐらいなんでもない。何かそんなに、異常なことやろか。好きでたまらん、こいつを食いたいと思うのは、どこか何か変なんか、って。
 そんなん変やろ。おかしいで俺は。絶対に、頭がおかしい。
 亨を自分の手で殺すやなんて、想像するだけでも耐えられへんはずやのに、なんでちょっと腹立ったくらいのことで力一杯首締めるなんて、そこまでやってもうたんやろ。
 ふとそれに思い至って、かたかた震えの来てる俺を、腕の中から亨が見上げてきた。
「どしたん……アキちゃん。神父が怖いんか」
「いや、そうやない。自分が理解できへんだけや」
 未だに頭の芯が痺れてる。そんな気がした。頭の中に蛇がいて、怒るとそいつが暴れ出す。その時の俺は鬼、あるいは悪魔サタン。そんなようなものやという気がした。
 それはずっと昔から、俺の中にいた。ずっと長いこと、どんなもんやら正体のわからんかったそれが、つい最近になって、形を与えられた。蛇のような。
 それはたぶん、俺が亨と同じ、蛇の眷属になったという事やった。
 俺にとっては、それが単に、自分は永遠に若いまま生きられる、もうずっと、亨と一緒に居れるんやという、それだけの意味しかなかった。
 甘かったんや。まさに甘々。
 亨はその血によって、自分の持っている性質も、俺にばっちり移してくれてた。
 貪欲、残忍、多情に我が儘、そして血を吸う性質と、不死の肉体を。
「大丈夫なんか、亨。その……どっこも、何ともないか」
 恐る恐る、俺は訊ねた。亨はぴんぴんしていた。見かけはそうやった。
 でもさっきは、すごい顔色してたで。どう見ても死体のようやった。もともと白いこいつの顔が、ほんまに血の気のない、蝋細工みたいな真っ白で、金色の目が暗く爛々としてた。
 それが今はもう、いつも通りの綺麗な顔で、にこにこしてる。さっきまであんなに怒ってたのに、今はけろっと頬染めて、俺だけが頼りみたいな可愛い顔して、キスを強請るようなうるっと濡れた薄茶の目で見つめ、俺にべったり抱きついていた。
「何ともないよ。もう再生してん。気合い入れたら、ざっとこんなもん」
 俺の首にさらにぎゅうっと抱きついてきて、亨は耳打ちする声になった。
「凄いやろ。アキちゃんもやで。やろうと思えば、もっと凄い究極プレイもやれそうなあ」
 ありえへん。その方面には俺は、行きたくないわ。
 それでも亨は、ねっとり淫靡に唇を寄せてきて、俺の耳にキスをした。
 ああもうあかんわ、って、俺はやっと自覚した。俺はもう、ほんまに人でなしなんや。そのうち俺まで亨みたいな、悪趣味な変態のエロエロ妖怪に堕落するんや。そしてそれを、何とも思わへんようになる。
 自分も悪魔サタンやのに、なんで皆そう思うんやろ、俺はイイ子やのにって、そんな無自覚な恥知らずになるんや。もう、なってんのかもしれへんわ。なってたらどうしよう。
「今すぐ離れなさい」
 きっぱり命じるような声で、それでも何となく焦ったふうに、神楽神父が俺に忠告した。それともそれは、亨に言うてんのかもしれへんかった。悪魔サタンよ去れって、そんな口調やった。
 亨はむっとしたように、俺の耳に唇を寄せたまま、神楽神父を睨んだ。
「なんで離れなあかんのや。アキちゃんは俺のもんやねん。美形神父やからって偉そうに、俺らのラブラブの邪魔せんといてくれ」
 亨に言われた話の意味を、理解したくないという衝撃の顔で、神楽神父は俺と亨を素早く見比べた。
「ラブラブ?」
 およそ口にした例しが無さそうなその言葉を、明らかに異物感ありありの口調で、神楽神父は繰り返してた。
 亨はそれに何も答えへんかった。俺かて何も言い様がない。海道家の自由な人々に、なにか意見があるはずもなく、みんな、それが何、ていう顔で黙っているばかりや。
「それは……許されていません」
 青い顔して、神楽神父は言うた。誰に言ってんのか、すでにもう、よう分からへん。呟くような言い方やった。
「神は同性愛を禁じています。聖書に、明確な記述があります」
「知らんやん、そんな神」
 亨は素早く一蹴していた。
 そんな神、おるんやと、俺は内心青ざめた。わざわざ書いて、禁じなあかんような世界があるんや。詳しく知らんけど、神社の神さんが、男どうしでやったらあかんでって言うてたという話は聞かん。そんなこと、どうでもええんやろ、秋津島の神様にとっては。ちゃんとお祀りして、敬意を払う限りは、いちいち人間のやることに口出ししはらへんのや。
「本間さん……」
 呆然と漂うような口調で、神楽神父は俺の名を呼んだ。
 はい、すいませんて、俺は思わず謝りそうになった。なんで俺がこの人にゴメンナサイて言わなあかんねん。でも言わなあかんような、責められてる気配がむんむんしてた。
「心配いりません。私がこの悪魔サタンを追い祓います。必ず助かりますから、諦めないでください」
 もう諦めてる。ていうか、追い祓わんといてください。俺のツレやねん。俺はたぶん、こいつが居らんと生きていかれへんねん。すんません、惚気ですけど、でも残念ながら事実やねん。
 こいつがちょっと浮気したかもみたいな話を聞くだけで、一瞬でテンパってもうて、頭の芯からブチキレてる。それだけでももう、お前は終わってるわって感じやないか。終了してる。全ての過程が。俺と亨はもう、とっくの昔に、序盤の過程を終了してる。もしも結婚できるんやったら、すでにゴールインしてる。だって俺は、こいつの他の誰かと人生をシェアするつもりがないんやもん。
 キリスト教風に言うんやったら、死が二人を分かつまでやで、お互いを愛して守ることを誓ってる間柄やねん。しかも死は二人を分かつことがない。だって不死なんやから。死んでも全然平気みたいやったで、さっきの亨見てたら。見事に蘇りまくりやもん。
 言葉に出して誓ったことはないけど、少なくとも俺は、そのつもり。
 せやのになんで、こいつの首絞めたりしたんや。
 急にその後悔が激しく脳天に来て、俺はぐったりと項垂れた。
「もうあかんわ、俺は。ほんまにどうしようもない。俺が悪かった。許してくれ、亨」
 ぐんにゃりしたまま平に謝ると、亨は、えっ、なんやっていう、きょとんとした顔をした。
「何の話?」
「何の話って、さっきお前の首絞めたやんか……」
「ああ、あれか。もうええわ。ちょっと苦しかったけど、でも、アキちゃんそれぐらい怒ってたんやろ。俺のこと、それぐらい好きやってことやろ。殺したいほど愛してんのやろ?」
 えっ。まあ。そうなん?
 そういうことで、ええのかと、俺は動揺したが、亨はもう人生バラ色みたいな目つきやった。うっとり俺を見てた。
「いややなあ、アキちゃん。情熱的すぎて、俺、萌え萌えや」
「いやいや、ちょっと待て。そんなんで通りすぎてええのか。お前、俺にえらい目に遭わされたんやで」
 チューしよかみたいな亨を、とりあえず押しとどめて、俺は話を戻してみた。それでも、すでに自分の世界に入ってる亨は、いまいち聞いてるような顔やなかった。
「ええねんええねん、時には窒息プレイもありということで。ああもう殺してみたいな世界やねんて。ほんまに死ぬわけないんやから、アキちゃん」
「えええ……」
 俺は若干、引いていた。ドン引きまでは行かないところがまたヤバい。
 俺は亨には、詳しくは言えないような、ありとあらゆることをやらされていた。嫌やって、新ネタ出るたびに抵抗してきたが、それは全部虚しかったし、結局めちゃめちゃ燃えてる自分がいたような気がしなくもない。深くは追求せんといてくれ。
 せやから自信がなかってん。自分がまともな神経かどうか。
 悪魔サタンに調教された挙げ句、なんでも燃えますみたいな心と体になってたら、どうしよう。それこそもう、完全な人でなしやで。
「本間さん……」
 またさっきの咎める声で、なおいっそう青い顔した神楽神父が声かけてきた。
「は、はい……?」
 無視するわけにもいかず、俺は上ずった返事やった。
「あなたはいつ頃から、その悪魔サタンに憑かれているのですか」
 悪魔サタンやないです。しきやから、って、何か言いづらい雰囲気。まあええか、神でも鬼でも悪魔サタンでも、なんて呼ぼうが亨は亨やし。神楽さんの呼びやすいように呼べばって、俺は妥協した。
「去年の十二月からですけど」
「クリスマス・イブの夜からやで。運命の出会いやねん」
 亨がすかさず、要らん補足をした。言わんでええねん、そこまでは。恥ずかしいやないか。
「ではまだ傷が浅いです。必ず助かります」
 変態部分だけ治してもらえないですか、先生。俺は思わずそう言いそうになった。
 でも言われへんかった。言うたら自分がそうやっていうのをカミングアウトすることになる。それに部分的治癒はありえへんような気もした。亨が好きやった時点でもうアウトやないか。男に一目惚れしたんやから、その時点からもう確実にアブノーマルな世界やで。
 そろそろ認めろみたいな話になってくる。亨のせいやのうて、俺はもともとそうやったんや。男でも良かったんや。というか、男も好きやったんや。そういう血筋やねん。だって、おとん大明神がカミングアウトしてた。自分の式神は、全部男やったって。
 そんな血が流れてるから、亨を口説いたんや。初対面で、男やし、人間ですらないのに、顔が好きや、触りたいって、それだけのことで一目惚れして、さっそくお持ち帰り。アキちゃんが俺を誘ったんやでって、亨は最初からずっと、そこだけは譲らへん。いくら俺が否定しても、折れへんかった。きっとそれが、事実なんやろ。こいつは式神として、俺の支配を受けてて、俺には嘘がつかれへんのや。
 亨が俺を選んだんやのうて、俺がこいつに惚れただけ。そうやって始まったプロセスやねん。こいつが俺に取り憑いてるんやない。俺が亨を捕まえてるだけ。逃げんな、浮気すんな、俺だけを見ろって、そういう横暴さで。
「助かりません、もう。それについては、ほっといてください。困ってませんから」
 ある意味、全然困ってない。亨と居ると、困ることばっかりやけど、でも困ってへん。こいつが居らんようになるほうが、よっぽど困る。
「しかし……」
「仕事の話してください」
 俺は頼む口調で制圧した。
 神楽神父は、少々むっとしたような、困惑の顔をした。
 この人には自分の道なりの、こだわりがあるんやろ。執念というか。悪魔サタンに憑かれて困ってる人らを救うのが、自分の使命やと思うてる。悪魔祓いエクソシストやねんから。
 蛇に憑かれてると知りつつ、俺を見捨てるんは、その信念に反するんやろ。
 せやけど世の中には、いろんな都合があるねん。いろんな神様がいてる。神楽さんの世界では、亨は悪魔サタンかもしれへんけど、俺の世界では神様やねん。
「大事の前の小事ですやろ」
 あんた、そう言うてたやんて、念押しするつもりで、俺はそれを持ち出した。
「小事なんですか、あなたにとっては。邪悪な蛇に取り憑かれて、自分もいずれは悪魔サタンの一党になるということが?」
「こいつは確かに蛇やけど、邪悪ではないです。なんも悪さしてません」
 責める口調の神父に俺が反論すると、亨が甘いような息で呻いて、さらに俺に抱きついてきた。何となく、うっすら笑っている気配がした。
「蛇は存在そのものが邪悪なのです。人を堕落させ、悪事を行わせるのです。たとえば、その………………」
 めちゃくちゃ長く、神楽さんは口ごもってた。そしてその息詰まる感じが、居間に居る全員の息を詰まらせかけたとき、やっと早口に神父は言うた。
「淫行などです」
 さっと言うなり神父は赤くなってた。
 俺はその逆に、それを聞いて、青くなってきた。
 なんでこの人、それくらいの話で照れんのやろって怖くなってきて。それにその話は、俺にとってはかなり青ざめるような話や。
 淫行なあ。確かにやらされてる。初めは確かに、行わされてる感じやったんやけどな、それも年越すあたりまでやで。思えばほんの半月ばかりやったで、俺がこいつの淫行しましょうみたいな押せ押せムードに無駄な抵抗をしてたんは。
 最近、してへんなあ、抵抗。せなあかんかな、時にはまた。人の子としてまずいか、夜やって朝やって昼やってみたいなのは。どう考えても最近、絶倫すぎる。夏休みでずっと家に居ったのがあかんのや。完全に、亨のペースで淫行しまくり。
「お黙り、この童貞神父が」
 いきなり亨がそんなこと言うたもんで、俺は自戒を中断し、ギャーッて叫びそうになった。
 何言うてんのや、お前。なんでそんなこと分かるねん、当てずっぽうか。
 確信に満ちて言う亨の視線の先で、神楽神父はグサッと来てた。グサッと来てる。ということは、ほんまにそうなんや。図星やったんや。
 亨は向こうの返事も待たず、引き続きずけずけ言い足した。
「てめえは淫行を致したこともないくせに、それが悪やって何で分かるねん。悪やないで。何やったら見せたろか? 俺とアキちゃんがめちゃめちゃやるとこ。すごいでえ、ほんまにすごい……」
「いや、ちょっと待て、亨。お前は黙っといてくれ」
 さっき青ざめたのが治る間もなく、俺はまた青ざめたくなった。
「なんでやアキちゃん。アキちゃんも言うてやれ。俺とやってる時、めちゃめちゃ気持ちええやろ? ほんで、幸せなんやろ? 愛でココロがいっぱいになるんやろ?」
 神様、お助け。
 うっかり俺はそう祈りそうになり、それを中断した。
 あかんわ、神頼みしたら、あかん。おとん大明神が地球の裏から駆けつけてきたらどないすんねん。ますます話ややこしなるわ。それに、一人でブラジルに取り残されてもうたら、おかんも困るんやから。
「いや、あのな、亨、そういう事は人様の耳に入れるもんやないから。黙っとこか?」
 俺はちょっと、下手したてに出てた。
 さっきは済まんことをしたという反省もあって、幾分尻に敷かれてた。
「なんで? ええやんか別にケチらんでも。あのな、童貞神父、言うとくけどな、アキちゃんは俺を愛してるんや。お前やないで。アキちゃんイクときはいつも俺のこと、好きや好きや、愛してるっていっぱい言うで。お前ら愛の宗教やろ。ほんならそれでええんとちゃうんかい」
 どぎつく凄む亨の声に、ぐっと怒りをこらえたような顔をして、神楽神父は答えた。
「その、愛では、ないです」
「ほんならどの愛やねん。お宅の神さんの教えには、愛に差別があるのですか」
 明らかにからかう口調で亨は聞いたが、神楽神父は律儀に答えようとしてた。無視すりゃええのに。真面目なのが祟っている感じがする。めっちゃ早口やった。
「とにかく神は同性愛を禁じておいでです。結婚の後に子をもうける目的以外での交わりも禁じられています。い……淫行などはもってのほかです」
「淫行ごときで、どもるな」
 亨はぴしゃりと指摘した。お前もう、黙っといたほうがええで。性格悪いのバレバレやないか。どんなに性根が悪くても、俺はもう、今さらお前を嫌いにはなられへんけど、初対面の人は別やで。
 悪魔サタンやないからっていう説得をせなあかんのやろ、なるべくイイ子にしとかなあかんやないか。どう見ても悪魔サタンみたいになってまうやろ。
 しかし亨は、そんな俺の気持ちには全く気がつく気配もなく、ガンガン行ってた。
「嘘やと思うんやったら、騙されたと思て、お前もいっぺんやってみ? 同性愛。そして淫行。めちゃめちゃ悦《え》えで。そうやろ、鳥さん、お前もなんか言え」
 亨にいきなり話を振られた赤い鳥は、まったく話を聞いてなかった。
 信太にいまだに抱かれたまんま、えっ、て、気の抜けきった返事をしてきた。
 ついさっき、愛の劇場を見せつけられたばっかりで、なんとも複雑な気持ちやったんで、俺はこいつらをなるべく見ないようにしてた。未練などない。この赤い鳥に。それでもなぜか、コノヤロウと思う。
 きっと俺は虎のほうにムカついているんや。だってこいつが亨を襲った虎なんやから。ほんまにムカつく。そのせいに決まっている。許し難い光景や。
 鳥の寛太はぐちゃぐちゃの赤い髪を虎の指に撫でつけられつつ、床にごろ寝してにこにこしていた。さあテレビでも見よかみたいなダラケっぷりやった。実際、テレビでも見るみたいに、海道家の皆さんは、ぽかんと俺ら三人を見守っていた。
「なんの話や、白蛇の」
 聞いてるこっちまで、まったりしてきそうな声で、赤い鳥はゆっくり亨に訊いた。
「エロの話や。淫行の。お前、信太とやるとき気持ちええのか。他のとやるよりええんやろ。泣くほど悦んでまうんやろ。なんでええねん。童貞神父に教えてやれ」
 きびきび言う亨の声に、鳥は考え込むような真面目な顔をした。そして不思議そうに悩んだ顔のまま答えた。
「えぇ……わからへん。なんでやろ」
「愛やないか! 愛!」
 亨は怒ったような声で断言していた。ええー、あい? と、鳥はアホかみたいな間延びした口調で相づちを打っていた。
「お前は信太を愛してるんや。せやから抱いてもろたら泣くほどえねん。気持ちええのは体だけやないやろ。ココロでも何か感じてるんやろ?」
 亨が鋭く訊ねると、鳥は、感じてんのかなと信太に訊いてた。そんなんお前しか分からんやろ、ツレに訊くな。
 訊かれた虎は、それに照れまくり、いやあどうやろ、俺にはわからへんと、とろけたようなつらをした。死ね。
 死んでいい、もうお前は、そんなに鳥が好きなくせに、なんで俺の亨まで食おうとするんや。確かに俺も、亨という者がありながら、お前の鳥を食いたい気がした瞬間はあった。でも手は出さへんかったで。それがケジメというものやないか。
「ココロでは何を感じてんの?」
 考えても解無しやったんか、鳥は諦めて亨に訊いてきた。
「せやから愛やて言うてるやろ。お前はアホか!」
「うん……ごめん。でも俺には、よう分からへん。蛇の言うとう、愛ってなに? 好きなのと、何が違うんや?」
 鈍いらしい鳥を、亨はじろっと睨み付けた。お前、自分から話振っといて、イライラすんのやめろ。
「似たようなもんや。せやけどな、お前は他のと寝ても泣きはせんのやろ。信太やから泣くんやろ。そうやないのか」
「考えたことない」
 鳥はすかさずそう答えた。平和そうな顔やった。ほんまに考えたことないらしかった。
 ていうかお前も無節操なんか。誰でもええのか。外道はみんなそうなんか。誰彼構わず乱交か。それで俺のことも、誘うような目で見てたんか。俺は、そんな奴いやや。一途な愛がええねん。
 亨にそれを要求するほうが頭がおかしいのかもしれへんけどな、目移りせんといてほしいんや。自分のことは棚上げで、ものすごく我が儘とは分かってるけど、でも、俺以外の誰も目に入らんようでいてほしい。俺だけ見ててほしいんや。
「考えたことないって……考えろ、ちょっとくらい」
 呆れ果てたという顔で、亨が力なくツッコミ入れていた。
「うん……ごめん。でもな、俺は、したくない。しなくていいんやったら」
 どことなく、済まなそうにしょんぼりとして、鳥は信太の顔色をうかがう目で見つめた。
「他のと、したくない。信太の兄貴とだけしたい。毎日したい」
 信太はそう言われて、深刻な顔をした。衝撃受けすぎて固まってるみたいやった。
「それって……わがまま?」
「違うって。それが愛やないか!」
 不思議そうに信太に訊ねた鳥に、亨が勝手に返事をしてやっていた。
 ちょっと待て、そんならお前はどうなるんや、亨。テレビとか映画とか見て、ちょっと好みの男が出てくると、すぐにごろごろ身悶えて、格好ええわ、抱かれたいって喚いてるやないか。俺がそれに日頃、どんだけ傷ついてるか、考えたこともないんやろ。
 お前より、アホな鳥さんのほうがマシやないか。ずっと一途で可愛げあるわ。なんでお前はああいうふうになられへんのや。
「寛太、そんなこと思ってたんか」
 ちょっと震えたような声で、虎は相方に確かめてた。それに、にこりと淡い笑みで応え、鳥さんは頭に花が咲いてそうな、のんびり声で言った。
「うん……俺、兄貴に抱いてもらってる時が、いちばん幸せ」
「それで泣いてんのか」
「うん。そうやと思う」
「寛太……」
 ひしっと抱き合わんでええねん。俺は一瞬先に事前のツッコミを内心入れてたけど、結局奴らは熱く抱き合った。
 もうええから。続きは後で別室のほうでやってくれへんか。一応ここは居間やから。皆居るから。竜太郎もおるんやから。
 お前らのせいとちゃうか、竜太郎が変なのは。可哀想に、まだ中一やのに、初恋の相手が俺やなんて、かなり普通路線を外してる。
「見ろ神父、この愛を!!」
 あれが好例である、というふうに、抱き合う虎と鳥を顎で示して、亨は勝ち誇ったように神父に言うた。そういう自分もここぞとばかりに俺にぶら下がってるんやから、決して格好のつく態度やない。ただの異常な光景や。
 しかもそれを、茶飲み話程度にも意識してない蔦子さんとか、ちょっと照れてるけど羨ましげな竜太郎とか、そのほか海道家の自由な仲間たちが居て、神父の常識世界をじわじわ浸食しようとしてた。
「ですから、その愛ではないです」
 しかし気丈に神楽神父は持ちこたえた。むしろ鉄壁みたいやった。
 亨が、ぐっと腹に力をこめるのが感じられた。それが自分の脇腹のあたりにぴったり押しつけられてたもんで。亨は丹田に気をこめて応答した。案外必死で話してるんやわ。
「なんやと、この童貞神父が。自分もやってみてから言え。言うとくけど、アキちゃん以外でやで。ついでに今は気まずいから、信太もやめとけ。他にも居るやろ、他の適当なのでやってみろ。この家にはイケメンいっぱいおるから」
 確かにそうや。蔦子さんの式神は各種とりそろえた男前ばっかりやった。血筋を感じる。きっと顔で選んだんやな。
「ところで、分からんのやけど、お前って抱きたいほうなん? それとも抱かれたいほう?」
 真面目に訊いてる亨に、神父はもう明らかに怒ってる顔してた。
「黙れ」
「お前、顔綺麗やし、きっと、犯したいやつがいっぱいおるで」
 にやにや教える亨の声に、ケツでも撫でるような淫猥さがあって、それになぶられ、神父はどう見ても、ブチッとキレた。
 キレるんや、カトリックの聖職者でも。
 俺は呆然とそれを見た。じりっと一歩踏み込んでくる、どう見ても激怒してる神楽さんの、男にしとくのは勿体ないような綺麗な顔を。
 怒ってても美人やな。そればっかりはどうしようもない。生まれつきの顔やから。
 まあ確かにな、亨の話に同意するわけやないけど、ちょっと触りたいような人やわ。変な意味ではないです。いや、変な意味か。すんません、言い訳しません。そういう意味でです。
 何というか、そういうような匂いがする。この人は。
 亨が持ってて、鳥さんにもあって、かつて勝呂が俺を見る時にあったのと同じ、なんか独特の空気が。
 せやけど今は怖すぎて、とてもそんな気になる奴はおらんやろ。神父は何か、ごく希薄な薄紫の靄のようなもんを発していた。ちょうど水煙が燃えるときに、白い水煙を吐くみたいにな。
 水煙のそれに触れると、鬼は灼けて溶かされる。そして水煙に食われるんやけども、神楽神父の発するそれも、似たようなもんではないかと思えた。
「アキちゃん、怖いよう」
 どう聞いても甘えてるような声で、亨は俺にひしっと抱きついた。守ってくれという意味らしい。ほんなら守らなあかんのやけど、どうやって守るんか、実はさっぱり分からへん。
 すたすたと、ゆっくり寄ってくる神楽さんに、俺はなんとなくビビり、亨を庇う抱き方のまま、眉間に皺寄せた綺麗な怒り顔を黙って見上げただけやった。
「本間さん。これは悪魔サタンそのものです。卑猥な言葉で話し、人間を堕落させ、それを喜んでいる。この者にふさわしいところへ、追いやるべきです」
 亨にふさわしいところ?
 それって。イケメンだらけで、美味いモンがいっぱい食えて、足舐めてもらえるところ?
 それはあかんわ。そんなところに行ってほしくないもん。こいつの思うつぼやないか。俺が可哀想すぎる。
「せやけど、こいつが居らんようになったら、俺は大した役には立たないですよ」
 神楽さんの言う、大事の前の小事の、大事のほうのこと。そのためにこの人は、俺と話したかったんや。
 そうやねん。俺が神父に用があったんやない。その逆やってん。
 こんな場面でアレやけど、話は少々、時をさかのぼる。
 暴走する鳥さんに事故らされ、その後、神楽さんの理力フォースによって、奇跡的に免停から救われた俺は、海道家に帰り着いた。そこでなまずにまつわる話を、神楽さんからいくつか聞いた。
 それを十余年前、阪神大震災の後に鎮めたのは、秋津登与あきつとよ。なんと、うちのおかんやった。それについての記述が、なんとヴァチカンに送られ残されているという。
 まさか俺のおかんが、ヴァチカン進出デビューしていたとは、俺には青天の霹靂やった。
 当時のローマ教皇は、おかんの働きに惚れて、おかんに洗礼を受けさせ、いずれは聖女に列したいと内密に打診したらしいが、おかんは丁重に断ってきたらしい。自分は秋津島の神さんの巫女やから、異教の神官にはなられへんと言うて。
 そしてその話は立ち消えとなり、おかんは俺を育てつつ、それまで通り京都で、歌ったり踊ったりして過ごした。
 そして十余年後の今、再び同じ悪魔サタンが暴れ出そうとしているが、肝心のおかんは日本におらん。おとん大明神と世界一周ハネムーン中で、今ブラジルやけど、俺には毎日のように惚気メールを送ってくるあの人と、ヴァチカンは連絡が取れへんのやって。
 それでやむなく、その一人息子ということで、俺に白羽の矢が立った。跡取りやということで、おかんが俺を紹介してあったらしい。全然憶えてへん。ほんなら俺は神父に会うたことがあったんや。全く記憶にございませんが。たぶん興味がなかったんやろ。
 それともその人は、神父やとは名乗らへんかったんかもしれへん。変な服着た外人やとでも思って、それっきりスルーやったんやろ。俺は自分ちの家業のことには、なるべく興味を持たないようにしてた。おかんの客にも、なるべくなら会いとうなかった。
 俺は長いこと、おかんが娼婦なのではないかと疑ってたんや。それで常に、おかんの客には妬いていた。きっと愛想悪い餓鬼やと思われてたやろな。無愛想の陰に、明らかな敵意があったんやからな。
 もっと愛想良くしとくべきやった。結局、家業を継ぐわけやから。将来、おかんの客が俺の客になることもあるやろ。大崎先生なんか、その好例や。
 ずっと俺が無愛想で、つんけんした可愛げのない餓鬼やったせいで、あの爺さんも俺には意地が悪い。いっつも俺が描けへんような題材の絵ばっかり注文してきはって、困ったなと思わせるのを趣味にしてはる。
 なんでもええから描けたら持ってこい、買うてやるからって、そう言うてくれはるんは有り難いけど、でもやっぱムカつくんで、爺さんとこには持っていかへん。画商の西森さんとこに行く。それでまた爺さんには、秋津のぼんは愛想無しやて罵られ、それをわざわざ留守電みたいに一言一句漏らさず伝えさせられる式神の秋尾さんに、ほんま敵いませんわ、ぼんももうちょっと先生に愛想よくしたってくださいと、やんわり説教される。
 俺も一応、絵で食おうという人間なんやから、絵を買うてくれる客に、愛想なしじゃまずいわな。それもまだまだ俺の未熟なところやねん。いつかは、おかんみたいに、にこにこ満面の妖しい笑みで、お客様にいらっしゃいませて言えるようになるやろか。全く想像つかへんけどな、そんな本間暁彦は。
 仕事を依頼してきた神楽神父にかて、俺は渋面やった。その仕事が、途方もないもんに思えたからやった。
 神楽さんはヴァチカンに居るローマ教皇の直々の使節という立場で、かつて俺のおかんがやったような奇跡の再実行を執り行うように依頼してきた。
 つまり、神戸の地下におる悪魔サタン、こちらでいうなまずのことやで、これが暴れ出すのを鎮めて戻し、厄災を最小限に留めてほしい、できれば向こう何百年も眠り続けてくれるようにしてほしいと、そういう事やった。ただし成果は教会がとる、お前には金をやる、そういう話やねん。
 おかしいと、蔦子さんは言うてた。おかんはそつなく仕事をし、なまずはきちんと眠った。十分に腹を満たしたはずやった。せやからあれで、向こう何百年眠れるはずで、たったの十年そこらで起きてくるのは変やと、神楽神父に話したけども、神父はなにか隠したような顔をして、押し黙るばかり。
 とにかくなまずは任せたと、そればっかりや。
 まるで他にも悪魔サタンが居るような口ぶりやった。まさか亨のことではないやろと思う。何かもっと、でかいモンや。
 それが天使の格好で現れた、勝呂の言うてたお告げに関係あるように思われて、俺はそれについて訊いた。
 神の戸の、岩戸いわとより、死の舞踏が現れると、あいつは言うてた。
 死の舞踏って、なんですやろか。神楽さんは神父なんやし、あいつは天使の格好してたんやから、何か関係のある話として、上のほうから聞いてないですかと、俺は腹を探る気分で訊ねたが、神父は黙りやった。
 どうも神楽さんには、俺が天使を見たという話が、気に食わんようやった。
 俺だけやない。鳥さんも天使を見たで。
 俺はあのとき勝呂がなんて話したか、実は正確には覚えてへんかった。あまりの出来事に動転してたんや。それで仕方なく、鳥の寛太に補足を求めた。寛太はアホなくせに、人の話はよく聞いていた。それで勝呂の言うてたことも、一言一句きっちり憶えていた。
 神の戸の、岩戸いわとより、死の舞踏が訪れる。力ある者は備えよ。万軍の神なる主に栄光。天のいと高きところにホザンナ。アーメン。と、意味はわかってない、のんびりした口調で寛太が繰り返すのを見て、神楽神父はやっと、鳥さんと口を利いた。
 神父が言うには、それは聖なる言葉である。後半の、何やかんやがな、神さんを讃える言葉なんやって。せやからそれを平気で口にできるということは、寛太が神聖な存在やということを意味するらしい。少なくとも、悪魔サタンではない。神とキリストに逆らうような邪悪な存在ではないと、確信が持てたらしい。
 しかしその神聖やったはずの鳥さんが、虎とやってることが判明したわけで、神楽さんとしては頭がくらくらしてくる訳やな。わかるよ、その目眩。俺も時々感じてた。春先ぐらいまではな。
 まあそんな同情めいた余談はさておき、本格的な仕事の話を詰めようかという時になって、神楽さんは電話で呼ばれた。奇怪な現象が起きたとか、教会のほうから電話がかかってきて。
 なんでも、奇怪な出来事なるもんは、その時期あちこちで、頻繁に起きていた。まず第一は、天使の出現やった。力ある者たちに、備えよと告げ知らせる天使のようなものの出現が、次々に起きていたんや。俺はいずれそれを、例の霊振会通信なるメルマガで知ることになる。
 そして第二は、悪魔サタンの出現やった。神楽さんは近頃、白衣を着る間もないぐらい、悪魔祓いに奔走していた。それで俺らが教会に行った時も、とつぜん留守やったんや。
 とある女の人のところに、悪霊が現れてとり憑き、激しく踊り狂わせた。飲まず食わずで、死ぬほど踊るらしい。まるで童話の赤い靴のお話やけども、その女の人は裸足やった。それどころか、服も着てへん。明らかに異常や。
 いちばん異常なのは、踊ってる本人も、それを異常と認識してることやった。何かに憑かれてやってることやねん。本人の意志やない。肉体を乗っ取られてて、自分ではどうすることもできへんのやって。
 神楽神父はその女の人に憑いていた悪霊を聖水浴びせていぶりだし、いと高き神の御名において、出て行けと命じた。神父の力は悪霊を凌いでて、そいつは畏れ、苦痛の声をあげて、すごすご地獄へと去った。
 骸骨やったらしい。スケルトン。ずっと昔に、すでに死んだけど、行き場を見つけられずに迷ってて、生きてる女の肉体を、乗っ取ろうとした。
 その話を聞いて、俺は複雑な気分やった。俺が亨の前に付き合うてたやつも、そんな感じやったで。せやけど苦痛の声をあげて地獄に落ちはせえへんかった。そうやと思いたい。
 どんな女か俺はいまいち分かってなかったんかもしれへんけど、でも、いいやったで。それが地獄に堕ちたとは、思いたくない。
 なんでこの人は、悪魔サタンを憎んでるんやろ。
 確かに世の中には、どうしようもないような鬼も居るやろ。泣いて斬るしかないような、そんな悲しい話もあるわ。せやけど、そいつにも何か、理由はあったんやないかって、神楽さんは考えへんのやろか。
 俺はどうもこの人の、人物が分からない。
 そんな人を信用して、仕事を請けてええもんやろか。
 第一、請けたところで俺に、勤まるような仕事やないような気がする。どえらい大仕事やで。もしも失敗してもうたら、神戸はどうなってしまうんや。
 もっと力もあって、経験もあるような別の人に、頼みはったほうがええんやないかって、俺は一応、辞退はしたんやで。なんせこっちは学生の身で、それっぽい事件に立ち会ったのは、例の大阪の事件ひとつきりなんやから、未経験も未経験。中一の竜太郎のほうが、まだましなんちゃうかと、本気で思うくらいや。
 けどな、予言やというねん。予言やで?
 ヴァチカンには、ずっと先の未来までの予言の書みたいなのが、秘蔵されてるんやって。その内容は極秘で、教皇しか知らんらしい。そこに今回の神戸の厄災も、予言されていた。そしてそれを解決できるのが、俺なんやって。
 なんや知らんうちに俺もヴァチカン進出デビューしとったらしいわ。勘弁してくれやで。
 それでも、とにかくそうやから、俺にはこの仕事を請ける義務がある。予言は必ず実現する。あなたが断れば、救われるはずだった神戸の運命も、悪い方向へ変わるだろうと、神楽さんは脅しめいた口調やった。
 それはおかしい。厄災が解決つくって予言されてるんやったら、俺やのうても解決できるんやないか。俺が断ったらアウトやなんて、もしもそうやと仮定したら、その予言は外れるということやろ?
 必ず実現するはずの予言が、外れるやなんて、矛盾してへんか?
 神楽さんはそのツッコミにも、難なく答えた。
 厄災が解決できなかった場合は、予言の書の内容も書き換わるのだろうと。つまり、厄災が発生すると知らせる予言の書がある世界へと、この世が移り変わる。
 俺の返答いかんによって、時空がずれるかネジレるか、そういう事が起きると言うてんのやで、神楽さん。ちょっとな、ちょっと、SF小説とか読み過ぎちゃいます?
 冗談ですよね、って、俺がそんな半笑いの気持ちで居るのに、神楽さんは大真面目やった。そういうことは、起こりえますと、真顔で言うた。
 神は、万物の創造主で、この宇宙と時間をも、創造なさったお方です。ですから、時空を超越した存在なのです、と。
 来たで、来た。宇宙系。「スター・トレック」の中の人みたい。本気で言うてる。目がマジやったもん。
 実際、それは冗談やのうて、真面目な話やった。神父さんたちの中には、物理学者もいてはって、神とは何か、宇宙とはなにか、神学と科学を絡めて研究してはる人もいてるらしい。神の創り給いしこの世のことを探求し、解明すんのも、なんと神父さんたちの仕事のうちのひとつやった。ある人は教会で信者のおばあさんの世間話を聞いてやり、ある人は悪魔祓いをし、またある人は時空とは何かを探求している。それぞれにとって、もっとも自分に適したところで奉仕する。それが神父の道らしい。
 悪魔と戦うのに適してた男は、仲間の神父が解明している時空の件について、疑いがないふうやった。
 幸せやな、神楽さん。思わへんのや、なにそれ、アホかみたいな事は。受け入れられるんや、自分から見て、はぁ? みたいな、普通ではない話でも。
 思えば神楽さんはこの初対面の頃から、素直でなんでも受け入れられる素養を、思いっきり示してたんかもしれへんわ。
 それは子供のころの自分が、聖霊が見えるという話を、家族に嘘やと思われて、受け入れてもらえへんかった辛さの反動なんかもしれへんかった。自分には、ありえへんと思えることでも、それを信じることが、人を信じることやというのが、神楽さんの方針やった。
 それで俺の言う、亨は悪魔サタンやのうて、式神やからという話も、神楽さんにとっては訳の分からん異教徒のほざく話やのに、なんとか受け入れようと藻掻いてた。そのせいで、何とも言えずつらく、神父としての自分の世界観と、得体の知れん日ノ本の、得体の知れん世界観との板挟みになってもうて、神楽さんは苦しんでいた。
 気の毒やけど、しょうがない。それが巫覡ふげきの血筋の者に、神父が仕事を依頼するってことの難点や。土台、根っこにある価値観が違うてる。それでも協調していこうというんやから、お互い少々譲り合う他はない。
 それでもこっちは、ふうん、そうなんや。そんな神さんもいてはるんやなあ。なるほどね、みたいな軽いノリやねん。だって神さんなんか、いっぱいいるもんや。そして、それぞれ性質も価値観も違う。亨と水煙なんか見てみ、ぜんぜん違う性格やねん。鳥さんと虎もたぶん神の一種やろうけど、そして、うちのおとんすら、今は神のうちやけども、皆ぜんぜん違う性格や。合うのや、合わへんのも居るわ。
 それが自然で、自分が好きな神さんを拝めばええやんていうのが、俺の感覚やったけど、神楽さんはそうやない。なんせキリスト教の神さんは、一神教やねん。他の神を崇めることを禁じてる。
 せこい神さんやで、大きな声では言われへんけど。
 俺だけにしとけ、他は見るなて、そういうスタンスやで。
 せやけど、そんな神も居るやろ。そんな男もいてるんやから。俺なんか、まさにそれ。そういうことやから、言いたい気持ちはわかる。
 そしてそれ言う時点で、他にも男は居るんやということを認めてる。ほんまに自分が唯一絶対やったらな、言う必要ないねん。亨も俺がこの世にただひとりの男で、他に選択の余地がなかったら、浮気なんかできへん。縛っとく必要はない。
 げきも男も、俺の他にも一杯おるねん。俺よりええような奴も中にはおるやろ。それよりアキちゃんがええわって、亨が思うような男にならなあかんねん。
 厳しい。
 それは分かってんのやけどな、でも言うてまうねん。俺だけにしとけ。他のに目移りしたら、許さへん、て。
 まあ、そんなとこやろ、キリスト教の神さんも。
 そう言うたら冒涜やと、神楽さんは怒ってたけど、それはもうちょっと先の話。
 俺はこのとき、神楽さんからの依頼を、すでに請けた形やった。
 だって誰が断れる?
 お前が断ったら、神戸は滅びるって前置きされて、それでも嫌ですわとは言われへん。頑張りますと、俺は答えた。せやけど、未経験すぎて、一人では到底無理ですと。
 心配おへんと、蔦子さんは俺を励ました。
 そのための霊振会どす、と。
 ……そうやねん。俺は、京阪神在住の霊能者の皆さんと、協力しあって頑張ることになった。何人おると思う、霊振会の会員。二千五十六名やって。
 つまり形式として、ヴァチカンからの依頼を受けたのは俺名義やけど、実際に働くのはその、二千五十六名の「力ある者」たちやった。そして、人によっては、それの連れてる式神までが、うじゃうじゃ神戸にやってくる。
 そんなこんなで、この時期の神戸は、ちょっとした式神インフレ。まさに異界やった。
 その主である巫覡ふげきの類はもちろんやけど、式神かて人に近い姿をしてるんやったら、まさか道ばたで寝かすわけにもいかへんわ。
 それで、必要やってん。そのための宿が。合宿所みたいなな。
 しかも神さん泊めるわけやから、生半可なところやと、文句出るやろ。高級感あふれる快適なお宿でないとあかんて、そんな無茶苦茶な話でな。
 しかし、あるもんや、神戸。ステキなホテルが、山の手の、北野のほうに。
 最近、新装開店したばかりやという、そのホテルには、神楽さんのお父さん経由での縁故があった。ステキなイタリア製家具やアンティークを、いっぱい買うてくれたらしい。それでそのホテルのオーナーさんとも、神楽さんは家族ぐるみで面識があった。
 それで、頼んでみたんやって。妖怪泊めてくれへんかって。
 いいですよ、って、それに快く応じるほうも応じるほうや。一体どんな奴やねんて、俺は呆れてた。それがどんな奴かも知らずにな。
 俺と亨もホテルに移れって、神楽さんは言うてきた。そのホテルがなまず封じの活動拠点になる。地元に住まいのある人には強要していないが、俺はなんせ中心人物らしいから、俺はいややでは話にならん。顔出して、挨拶のひとつもせえと、そういうことらしい。
 ほな、しゃあないかと、俺は思った。
 仕事は請けたし、それに、鳥さんと虎が居るこの家は気まずい。竜太郎も気まずい。テレビぶっ壊してもうて、蔦子さんにも気まずい。気まずいことだらけ。
 そんなら行こか、妖怪ホテル。そのほうが、亨とも二人っきりになれるしなと、そんな浅はかな動機もあって。俺は気軽に決断した。
 大体において、俺はそんなもんやねん。俺に限らず、運命の決断なんて、そんなもんなんやろ。深く考えずに、ほなそうしようかって決めてもうた事で、時に助かり、時に死ぬような目に遭うんや。
 今回は生憎、後者のほうやった。
 俺は妖怪ホテルで、死ぬような目に遭ったんや。
 今までの一年足らず、俺が一番恐れてた厄災が、唐突に降りかかってきた。俺はそれを脳天にまともに食らい、もう死ぬ、死んだほうがマシや、いっそ殺してくれって、生まれて初めて、一瞬本気でそう思う羽目になる。
 せやけどそれは、いつかは越えなあかん、人生の峠みたいなもんやった。


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