SantoStory 三都幻妖夜話
R15相当の同性愛、暴力描写、R18相当の性描写を含み、児童・中高生の閲覧に不向きです。
この物語はフィクションです。実在の事件、人物、団体、企業などと一切関係ありません。

神戸編(5)

 早朝起きてシャワーを浴びて、クロゼットを開けてみると、服がどっさり入ってた。よもやアロハかとビビってたんやけど、そんなことはなかった。まるで出町のマンションの、自分のクロゼットからとってきたんやないかっていうようなラインナップ。ほんまに誰か不法侵入して、持ってきたんやないか。
 それでも服は全部新品やった。
 半分は俺の。半分は亨の。余裕でここに住める。そう思えるくらいの量で。
 それでも一時滞在用ではあった。俺はな、衣装持ちやねん。京の着倒れってよく言うけど、ちょっと病気やねん。時々、なんかの発作みたいに、店ごと買うんかっていうノリで、服やら靴やら何でもかんでも買うてまうねん。
 亨にはすでにそれを、アキちゃんのバイ・ナウ病と命名されてて、激しくバレている。三条通りの町屋に入ったポール・スミスの店前を通過中、わざわざ店ん中から店員さんが出てきて、本間様どうもって、にこにこ挨拶をした。その人が割かし美形やということで、俺は近場のコーヒー屋で亨に二時間説教をされ、事の次第をゲロさせられた。
 違う違う、やましい事はなにもない。俺が前にここを通りかかったとき、鮮やかなまでの大名買いをした。それで愛想がええだけやねん。お前と会う前や。それに、なんで俺が店の、しかも男の店員さんを、顔可愛いっていうてナンパせなあかんねん。ナンパなんかいっぺんもしたことないわって、俺は誰も居らん喫煙席のほうで亨に言い訳をしてた。
 煙草吸わへんけど、そっちやったら閉鎖された個室やし、空いてて誰もいてへんかった。せやから名誉を守れると、俺はそういう期待をかけてた。
 誰も居らんでも、その部屋の空気には、煙草の匂いがむんむんしてた。服にも髪にも匂いがついて、お陰で一日不愉快やったわ。
 はよ帰って風呂入りたい。そう思って上の空でいて、また亨に怒られて、怒られながら河原町通まで行って、そこのアルマーニからまた美形の男の店員がわざわざ出てきて、俺ににこにこ挨拶をしたので、路上で首を絞められた。恥ずかしかったわ。まさしく息もでけへんくらい。
 あのな。服売る商売の人らはな、みんな基本的に美形やねん。見た目がええから、それを活かして働いてはるんや。話術も親しげやし、愛想かてええわ。それが仕事やねんから。ましてバイ・ナウ病の発作で時々札束撒いていく俺みたいなちょろい客に、愛想悪いわけないやんか。
 店員にウケたい訳やないねん。物欲やんか。物欲て言うか、買い物中毒やねん俺は。ちょっとええなと思うもんに遭遇すると、その場でそれを手に入れずにいられへん。そんな悲しい性やねん。
 そもそもお前についてもそうやろ。そんな俺やなかったら、たまたま行ったバーの店員やったお前を、お持ち帰りなんかするわけあらへん。それに文句言うんは、面食いやって俺をなじるのと同じや。そもそもそこから始まった話やないか。俺がもし面食いでもバイ・ナウ病でもなかったら、俺とお前は一緒におらへんのやないか。
 ずらっと並んだ新品の服をクロゼットの中に見て、俺はなんとなく青ざめた顔で突っ立っていた。
 いったいいつまで、ここに居らされるんやろ。
 昨夜は、ついつい頭にきてて、ほんまに誰憚らず亨をめちゃめちゃ喘がせた。それが今さらめちゃめちゃ恥ずかしい。どんな顔して出ていこか。それに、何着て行こうか。今日はいったい、何させられるんや。話聞くだけやから、別に普段着でええんやろけど、なんでかスーツまで吊してある。スーツ着るような用事があるんか、蔦子さん。
 激しく普段着で行こうと思って、何の変哲もないパンツとTシャツをクロゼットから出し、俺はそれに着替えようとした。なんやこれTシャツにまでびしっとアイロンがかけてある。微妙や。
 せやけど、いくら微妙でも、いつまでもバスタオル巻いて裸で突っ立ってるわけにもいかへん。
「亨、お前もとっとと服着ろ」
 ベッドに浴後の素っ裸のまま、また布団に潜りこんで、亨は鼻歌歌いつつ、iPodでネットを見てた。こいつはよく裸でごろごろしてるけど、恥ずかしないんか。つくづく異常や。蛇やていうことを除いても、亨は変やと思う。こいつが100%人間でも、結局まともではない。
 詳しい論証はしたくないんやけど、例えば前にデジカメで、やってるところの写真を撮りたいとか言い出して、俺には血も凍るような写真を自動シャッターで撮られた。しかもそれを、わざわざプリンターで印刷して、にこにこ眺めたりしてた。
 俺はその写真を捨てるために、わざわざ最高機密対応のシュレッダーを購入した。百万にひとつの過ちで、そんなもんが世に出たら、俺の息の根は止まる。間違いなく止まると思う。首吊って死ぬかもしれへんからな。
 そんなん、親不孝やろ。せやからシュレッダーが要るねん。亨と暮らすには。衝動買いやない。どこに衝動でシュレッダー買うてくる奴がおるねん。
 せやのに亨にはそれを、アキちゃんがまた変なもん買うてきたわみたいな白い目で見られ、写真捨ててる俺には、なんてひどい鬼やみたいな目をされた。鬼はお前や。家に自分らの濡れ場の写真を飾ろうなどと、俺を辱めるにもほどがある。
「服選ぶの面倒くさい。アキちゃん適当に出しといて」
 うつぶせでiPodの画面を見ながら、亨は甘ったるい声を出した。俺はそれにムカッとしたけど、大人しく言うことをきいといた。とにかくもうアロハは無しやから。そう思って選んだけど、亨のほうに吊されてた服は全部、なんとはなしに派手めやった。
 確かにこいつはそういうの似合うかもしれん。それでも俺は嫌なんや。目立つと皆見るやろ。見られたないねん。地味な格好しとけ亨。
 そんな地味さを追求した服を、素っ裸の真っ白な背中に投げつけて、俺はベッドの亨がおらんほうに腰掛け、靴下はいてた。
「あったで、アキちゃん。霊振会通信Vol.138。こっちはWeb版やからフルカラー写真付きやで」
 なんでWeb版があんねん。というかなんでサイトがあるんや。それでうっかり霊振会通信に載ってもうたら全世界に晒しモンなんか。たまらん話やで、今までも大概、狂犬病騒ぎで世の中に晒されまくったっていうのに。ほんまにもう気をつけなあかん。隙を見せへんようにって、亨が寄越してきたiPodの画面を見て、俺は涙出そうになった。
 新規入会者のコーナーに、俺の顔写真を添付していただけていた。
 ようこそ本間暁彦君。期待の新人。いきなりドジ踏んで、狂犬病を蔓延させてもうた、超ドン臭い子。皆でご指導ご鞭撻してあげてくださいという、そんな感じの紹介文つきで。
 誰やこの文章を書いてんのは。それにこの写真はどこから持ってきたんや。どう見ても背景は大学の、俺がいつも絵描いてる作業室やった。
 俺はわなわな震えながらそれを見た。作業室で俺の写真を撮ることができる奴は限られてる。亨が前に俺が描いた絵の写真を撮ったことがある。せやけど、こいつが俺の写真を霊振会に渡せるわけはない。こいつかて、昨日初めて知ったんやと思う。こんなアホみたいな会があるということを。俺に嘘ついてトボけてるとは思えへん。
 ということは、残る可能性はたった一人だけやった。
 秋尾さんや。
 おかんと懇意で、俺の絵を買うた大崎先生の、秘書で式神の狐の化身。いつも糸目に丸眼鏡の中年男の格好で来て、俺が依頼された絵を描いている途中経過や仕上がりを写真に撮っては、主である大崎先生なる爺さんに報告しに行っていた。
 その時、絵を撮るついでに、俺の写真もいつの間にか撮ってたんや。そうとしか思えへん。その時着てた服を一生懸命思い出すと、確かにこの写真に写ってる服やったような気がした。
 ひどいわ、秋尾さん。黙って人の写真使うなんて。そんなん、せめて一言言うてくれたらええのに。言うてくれてたら、絶対あかんて断れたのに。
 せやから一言もなかったんやな。そうなんやろな。確信犯的な無断使用なんやな。
 その事実にくらくら来ながら画面をスクロールさせると、その秋尾さんの主である、大崎茂氏の写真も載ってた。なんとこの人、霊振会の会長やったわ。会長挨拶って書いてあるもん。
「初めて見たな、大崎先生。実在の人物やったんや。見た目、痩せて白髪になった海原遊山みたいやけどな」
 亨が俺のほうに匍匐前進でごそごそやってきて、見ている画面を一緒に覗き込んできた。
 海原遊山ていうのは、漫画『美味しんぼ』に出てくる美食家で陶芸家のオッサンや。亨はその漫画に突然激しくハマって、全巻一気買いしてきて、黙々と読んでいた。食い物の話やねん。せやからこいつには涎出そうな感じやったんやろ。
 写真にいる大崎茂はもちろん美食家やない。某企業の会長で、眼光鋭い痩身の、今時珍しい、長髪の老人やった。綺麗に真っ白く色抜けた髪を、肩ぐらいまで伸ばしてる。それが似てると言えば似てる。和装やし。海原遊山に。
 なんで俺がそれを知ってるかというと、もちろん俺も読まされたからや。そして亨がハマって時々つぶやく、漫画ん中に出てくる海原遊山の暴言の数々を、日常のネタとして理解しとかなあかんかったんや。
 俺は漫画なんか読まへんかったのに、亨のせいで、書斎が漫画だらけやで。何を読もうがお前の勝手やけどな、少女漫画を買うのはやめろ。ある日俺の書斎の本棚に、『ガラスの仮面』が平積みされていて、『おすすめ』って、めちゃめちゃ凝った手書きのPOPまで貼ってあったんで、コケそうになったわ。お前は本屋の店員か。読ませたいんやったら堂々と口で言え。堂々と断ってやるから。
 そもそも亨が漫画なんかハマるようになったんは、俺の大学に入り浸ってたからやねん。漫画学科があるんや。そこの学生と立ち話して、漫画熱をうつされたんや。ほんまにこいつは俺の大学に来て、何をやってんのや。
 大崎先生の会長挨拶には、名前は出さないなりに、俺を褒めてんのやろと匂う談話が含まれてた。
 自分には無念なことに跡継ぎがいない。子供は大勢もうけたけども、力を受け継ぐのが出てこんかった。二十一世紀に至り、後継者不足は深刻な問題である。そんな中でも将来有望な若者が新規会員として現れたことを、小生は極めて喜ばしく思っている。小生の個人的な知己もいるが、稀代の術者である。諸先生方におかれては、小生同様、彼らを我が子とも弟とも思い、教え導いていただきたいと、話は結ばれていた。
 俺はいつのまに、爺さんの我が子になったんや。嬉しない。全然まったく嬉しない、と思いつつ、ちょっぴり嬉しいムズムズ感があり、俺は必死の咳払いしてた。危険や。海原遊山と『美味しんぼ』ごっこさせられる。そんなんなったら亨の思うつぼや。いっぱいネタにされる。
「服着ろ、亨。いつまでもケツ出すな」
「何を言うんやアキちゃん、俺のケツが好きすぎるくせに」
 ぶつぶつ猛烈なことを言いつつ、亨はのろのろ服を着にいった。
「記事のほうは、一応全部見たけどな、なまずの話なんて載ってへんかったよ」
 亨の話す声を聞きつつ、俺はざっとスクロールさせて記事を見た。写真つきで、ギャグみたいな画面やった。心霊写真に、怪奇生物特集みたいな。それから世界の不思議遺跡巡りとかやな。とてもやないけど、読む気がせえへん。見てはいけない世界やで。
 それでも読まなあかんのやろな。
 そう覚悟を決めて、ページの頭までスクロールして戻り、俺はふと、一枚の写真に目を留めた。期待のニュー・カマーが晒し者にされるコーナーで、俺とは別にもうひとり、写真の載ってるやつがいたんや。
 そいつは金髪で、青い目やった。どことなくエキゾチックな、それでも白人の顔をしてた。それなのに名前は日本語やねん。
 神楽遥かぐら はるか? 神楽遥がくら よう
 フリガナつけとけ、霊振会。どっちかわからんやないか。
 その写真のやつも、どっちかわからんような顔やった。涼しげな顔のマニッシュな女なんか、それとも、ナヨい男なんか、見た目にわからん。どっちにも見える。
 それでも人物紹介を読んで、俺にはそいつが男やということが分かった。神父やってん。神父やから、男やろ。
 そして俺は、じっと頭の上から俺を見下ろしてきた亨の影に、ぎくっとして顔を上げた。
「見たな……」
 じっと俺を睨む亨の顔は、うっすら笑っているような、怒ってるような、微妙な顔やった。それを間近に見上げて、俺はあんぐりしてた。妖怪みたいやで、お前。怖い。
「み、見た……見た、けど、お前が見せたんやで。それに、写真は含まれるんか?」
 この神楽神父が例の、小夜子さんが話してた、俺が見てはならない危険な美形神父に間違いないような気がしてた。たとえ別人でも、これは見てはならない級や。
 まさかこれで、俺は約束破ったことになるんか。六甲山かどこかから、亨好きやって絶叫されられるんか。そんなん、嫌や。耐えられへんわ。
「アキちゃん、じいっと見てたで……十秒くらい、ガン見してた」
 亡霊みたいな声で、亨は静かに俺を責めてた。
「そんなに見てへん……読んでただけや」
「関連情報を読むのも、禁止事項に含めよか」
 遠慮なく、亨は鬼みたいな顔で、俺の膝に跨ってきた。そして、やんわりベッドに押し倒されつつ、俺はそんなアホなとぼやいてた。
「どこまで含めるんや。それは含めすぎやないか?」
 Tシャツごしの俺の胸に頬を擦り寄せてきて、亨は長いため息をついてた。耐えてるような呼吸やった。そんなに怒ってんのか。なんでそこまで怒れんねん。
「含めすぎやろな。勘やけど、アキちゃん、こいつと会うことになるんやないやろか」
「被害妄想やろ」
 俺があっさり否定すると、亨はベッドに手をついて、むくりと身を起こした。
「外道の勘やで、アキちゃん。人と人の間には、引力みたいなもんがあるんや。この国では縁とかいう、アレか。縁のあるやつは、引き寄せ合う。それを運命という奴もおるけど、どう避けてても、出会う奴は出会うし、離れられんやつとは、離れられへん。重力につかまった星や宇宙船が、ブラックホールに落ちるみたいにな。まだまだ遠くても、もう逃げられへんていうポイントが、どっかにあるんや。ちっさな偶然が寄り集まって、逃れられへん強い引き綱みたいに、人を引き寄せる」
 滔々とうとうと真顔で語る亨の目は、ぼんやりとして、これまで数え切れない人また人を見てきたような人外の目やった。こいつは俺よりずっとずっと途方もなく年上なんやという、日頃は感じないその事実を、ふっと感じるような瞬間や。
「運命」
 よく聞くようでいて、滅多に口にはしないその言葉が、その時妙に心に響いて、俺は呟いてた。綺麗やなあって、ぼけっと亨の顔を見上げて。
 運命。そうや、って、亨は小さく頷いてた。
 運命か。縁か。それはまるで、俺とお前みたいに、と、俺はそんな甘ったるいことを内心の奥深くで思ってたけど、口にするには甘すぎるそれを躊躇ううちに、亨は全然別のことを例に出してきた。
「アキちゃんと、あの犬みたいなもんやろ」
 苦み走った笑みで言う亨の顔は、綺麗やった。それでもすごく、つらそうに見えた。
「あいつはたまたま、街でアキちゃんの絵を見て、それで美大に来たんやろ。もしも絵のある地下道に、あいつが行かんかったら、それか、絵が来る前や無くなった後に通り過ぎてたんやったら、ああいうことにはならへんかったわけやろ」
 そうやなあって、同意する意味で、俺は微かに頷いてみせた。
 亨がしてるのは、勝呂の話で、あいつは大阪の地下街で、俺が大学の作品コンペで描いた絵を偶然目にして、その絵に惚れたんやと言うてた。それは真冬の森を走り抜ける狼の群れの絵で、作品コンペの課題やった『野生』という題材で描いたモンやった。ゴーギャン祭りやってん。
 ただそれだけのことで、俺にとって、その絵には全然深い意味はなかった。描かなあかんかったから描いただけやった。それでも全身全霊はかけたで。何日も大学の作業室に籠もって描いたわ。
 実はその絵は、今でも俺んちにある。出町柳のマンションのアトリエに。作品コンペから戻ってきて仕舞い込んでからは、出して眺めたことはない。特にあの大阪の事件以来はそうや。そこにあの絵があることを意識しつつ、手も触れんようにしてやってきた。
 たまたま描いた絵が、たまたま大阪の地下街に飾られて、それが勝呂の運命を変えてもうたんや。死に続く、悲惨な方向へ。
 それによってあの狼の絵は、俺の中で独特の意味を持ちはじめた。呪われた絵やと。
 せやから、出して眺めてみるのも嫌で、ずっと封印してあるんや。
「あの絵が飾られてたんは何日間くらいやったんや」
 亨は俺の顔をじっと見下ろして、静かにそれを訊ねた。
「二週間」
「ほな、その十四日間の間に、運命の日があって、たまたまそれを捉えてもうたせいで、あいつは死んだんや。それが縁てもんの謎めいたとこや。あいつがそんな、しょうもないことしたお陰で、俺は死にかけたし、アキちゃんは外道に堕ちた。そういうことなんやで」
 非難がましい亨の口調に、俺はなんでか胸が痛んだ。亨が勝呂を恨んでるのは知ってたし、それも当然かと思うけど、あんまり恨まんといてやってくれというのが俺の本音やった。あいつは悪くはなかった。俺が悪いんやって、いまだに思う。
「俺があの絵を描かんかったらよかったんや」
 思わず庇う口調な俺を、亨は皮肉な笑みで見た。
「いいや。苑センセがアキちゃんに作品コンペの絵を描けて言わんかったらよかったんや。あのオッサンが悪縁の元なんやで。疫病神や。いっぺんお祓いしてやらなあかんのとちゃうか」
 亨は冗談言うてるらしかった。
 それに俺が小さく笑うと、亨は優しいような微笑になった。
「そんなふうなな、縁の連鎖反応みたいなんが、始まってるような気がする。この神父とも。昨日、小夜子さんから話を聞いて、それでその日のうちにこのメルマガやろ。二度あることは三度あるて言うからな。次はもっとデカくなって、どんどん近づいてくる。そんな予感がするんや」
「蛇神様のお告げか、それは」
 俺が茶化すと、亨は身をよじって、うっふっふと笑った。どことなく、淫靡なような仕草やった。のたうつ白い蛇。そんな空想が湧いて、俺はぞくっとした。亨はのしかかる重さで、俺の体の上にいた。なんや、蛇にとっつかまってもうて、あとは食われるばかりっていう、そんな気分になってくる。実はもうとっくに、食われてもうてるんやけど。
「俺には予言の力はないんやで。そんなんあったら、もっとマシに生きてきたやろ」
 どことなく悲しげに、亨は話してた。
 こいつは俺と会うまで、ずっと不幸やったらしい。本人が、そう言うてた。
 それは、今は幸せやという意味なんやって、俺は勝手に解釈してたけど、でも、ほんまにそうか。お前は今でも時々、悲しそうな顔してる時あるで。
「こういうふうになるって、最初から分かってたら、クリスマス・イブの夜に、お前はあの場所にいたんか」
 秋津の式神として、こき使われる羽目になるって分かってたら、俺を避けたか。そして今も、確か藤堂さんとかいう、前の男といまだに居ったんか。そういう意味で、俺は訊いてた。
 亨はそれに、ちょっと照れたように笑った。
「可愛いな、アキちゃんて時々。アキちゃんはどうなん。こうなるって分かってたら、あの夜あの店にちゃんと来てたんか」
 訊かれてみて、俺は苦笑した。
 逃げたかも。
 でも、それ言うたら、殺される。
 そう思って、俺が笑いながら黙ってると、亨は微笑を崩して、突然むっとスネた顔になった。
「なんやねん、もう。意地悪い顔して。絶対来てたって言うところやんか」
 笑いを堪えて、俺は頷いてた。嘘やけど、絶対来てたってことで。
 もしも行ってへんかったら、俺はどうなってたんやろって思うけど、行っててよかった。知ってたら、絶対ビビって逃げたと思うけど、知らんかったから行けたんや。
 ただの偶然か、縁の作用の必然か、それはどっちかわからんけども、そこから始まる出来事が、全然わかってなかったからこそ、ここにいる。不思議なもんで、それが運命ってやつか。
 もしも俺があの夜、バーに行かずに帰るとか、ホテルの部屋で飲んだくれてたら、俺は亨に出会わへんかった。
 そして、どうなってたんやろ。
 たぶん、彼女と別れて、殺人容疑者やって連れてかれるところまでは同じやろ。でもあれは結局、自殺ということでオチがつき、俺は無罪放免。そして何ということもない大学生活を引き続き送り、もしかしたらタラシの本間に戻ってたかもしれへん。そして春になり、桜が咲いて、四回生になり、新入生がやってくる。
 そこまで思って、俺は運命の不思議さに打たれた。
 俺が亨と会おうが会うまいが、それに関係なく、勝呂は俺の前に現れてたんやろ。後輩として入学してきて、これまた疫病神な苑教授の計らいで、俺は初夏から、あいつと一緒に作品を創ることになってたやろ。
 そして、どうなってたんやろ。
 結局、あいつは死んだんか。
 それとも、全然別のコースへ。
 俺はあいつが疫神に憑かれたことに、もっと早くに気がついたかもしれへん。何の警戒もせず無防備に、どうしたんや勝呂、具合悪いんかって、あいつを心配してやってたかもしれへん。弟みたいな、あいつが可愛かった。それが本音やった。
 作品展終わったら、一緒に映画観に行こうって、勝呂は俺を誘ってた。俺はたぶん、行ったやろ。映画好きやねん。どうせやったら一人より、同じ映画オタクと観たほうが、面白いやろ。
 それに、綺麗な顔やなあって、俺は時々、勝呂の顔に見とれてた。それに触っていいと言うてたあいつの誘いを、何回目まで、際どい冗談やって聞き流せてたやろ。
 わからへん。案外ちょっとした偶然で、今ここに一緒に居たんは、あいつやったんかもしれへん。俺はあいつを抱いて寝てたんかも。
 そう思うと不愉快やった。嫌な胸騒ぎがして。自分がその想像に、それはそれで、割とええんやないかと思ってるのが分かってしもたんで。
 不実すぎるわ、俺は。そういう自分に反吐が出そうや。忘れなあかん。早く忘れないと。勝呂瑞希はもう死んだ。この世のどこにもおらん。あいつはもう、死んでもうたんや。不甲斐ない俺の、あおりを食って。
「アキちゃん」
 亨はじっと真面目な顔で、俺を見てた。
「俺は店にいたで。もし、未来を知ってても。アキちゃんに会うために、あそこに立ってたと思うわ」
 俺の髪に触れてきて、亨は何か覚悟したように、そう言うてた。
「でも、それで、ほんまに良かったんかな。アキちゃんは、ほんまにそれで、幸せになったんか?」
 問いかけてくる亨は、不安そうに見えた。
 俺は亨の背中を引き寄せて、胸に抱いた。ひんやりとした、それでも熱いような、不思議な抱き心地やった。
 本能的にそうしてん。亨がそうしてほしがってるような気がして。
 抱きしめると、亨は深い安堵のような、快感のような、甘い息をした。白い首筋を撫でると、指に吸い付くような肌やった。
「幸せやで。でも、ひとつだけ、納得いかんことがある」
 俺を見下ろしてた亨の姿で、どうしても気になったことがあって、俺はそれを伝えておくことにした。
 なんや、って、亨は俺に抱かれたまま、やんわり身じろぎして、こっちを見上げてきた。
「お前、なんで服の前そんなに開けてんねん。ちゃんとボタン上まで留めとけよ。見えるやろ。臍まで丸見えやったで、今」
 ついつい説教する口調で俺が話すと、亨は低い声で、ええーって言うた。ものすご引いてるような声やったし、眉間に皺寄せて、呆れたみたいな顔やった。なんやねん、そんな目で俺を見るな。
「なんでそんな話すんの。なんで今すんの。それって重要なことか?」
 ちょっと話つけとかなあかんと、亨は俺の抱擁を振りほどいて、また体を起こした。
 やっぱり見えてるやん。ちょっと前あき深めのヘンリーネックやねん。それでボタン開けてたらな、お前より背高いやつには、腹まで見えてる。角度によっては。
 それはあかんやろ。極めて重要な件やで。もしもあの時なんていう、実際には起こらなかった架空の話より、よっぽど目の前にある現実的な危機の話なんやから。
 ボタン留めろって、言うだけやと手ぬるいと思って、俺は亨の服のボタンを全部留めてやった。亨はそれを、ものすご情けないという顔で見てた。
「見えたかてええやん。男なんやで。女で乳見えてるんと違うんやで」
「いや、気付けるに越したことない。世の中、案外そんな奴ばっかりやからな」
「真面目に言うてんのか、それ。萌え萌えするんか、アキちゃんは俺の腹見て」
 正直言うて萌え萌えします。
 情けないって項垂れながら、くよくよ訊いてくる亨に、それを答えるのは死んでも嫌で、俺は黙ってた。
 萌え萌えするねん、亨が脱ぐと。なんでやろ。条件反射?
 お行儀悪いこいつが、夏場出かけて、暑いなあってTシャツの裾をぱたぱたしてたりすると、もろに見えてる腹とかに、ぎょっとする。やめとけそんなの、皆見てはるやろって、内心ジタバタ、七転八倒なんやで俺は。ここだけの話やけどな。
 泳ぎに行こうって、亨に何回も強請られたけど、この夏いっぺんも行ってない。だって泳ぐには水着にならなあかんやん。服着て泳いでたら溺れてると思われて救助されてまうやろ。嫌やねん、俺は。自分は別になんでもないけど、亨がビーチで水着になるのが、どうしても我慢ができません。
 脳内シミュレーション段階でアウトやったな。絶対あかん。俺が許容できるレベルをはるかに越えてる。絶対にあかんわ。俺の命に関わるしな。
 なんでや、カナヅチなんかアキちゃんて、亨にさんざん詰られたけど、俺はあえてその不名誉な誤解を受け入れた。そうや、俺は泳げへんのや。せやから海にも琵琶湖にもプールにも行かへんのや。海なんか嫌いや。日焼けしたらどうすんねん亨。俺はお前の白肌がええねん。日焼けしたお前なんかアウトやから。
 まさかそんな恥ずかしい理由を言うわけにもいかず、じっと沈黙して耐えた。ぶうぶう言うてる亨を無視して。つれないとか、愛想ないとか、散々言われても我慢した。
 そして、なんとか無事に夏も終わろうかという今、やりとげた感がある。また来年の夏まで、泳ぎに行こうって亨は言わへんやろ。それでええねん。俺はもう一生、ビーチにもプールにも近づかへんから。たとえそれが百年でも千年でも、行かんもんは行かん。
「アキちゃんて……微妙や」
 ぐったり俺の横に倒れて、亨は首に抱きついてきた。
「時々、俺の想像を絶した路線で来る」
「お前の想像どおりの路線になったら俺はお終いやと思うわ」
 断言する俺に、亨は、そうかもしれへんと独り言みたいに言うてた。
 まだスネてるふうな亨の唇に、俺はやんわりとキスをした。
 俺はお前が好きなんや。それが偶然でも必然でもどっちでもええけど、とにかく今ここに居るのがお前で、俺は全然後悔してない。感謝してる、運命の悪戯に。
 ほかの道を行っても、俺は幸せやったかもしれへんわ。どんな道を歩いてても、幸せになろうとするのが人の性やろ。
 せやけど、今歩いてるこの道が、いちばん幸せなコースなんやって、俺は思いたい。そうやって信じて、お前を見つめて生きていきたいねん。
 なんでそう思うんやろ。その理屈が不思議やって、俺はいつも思うけど、論理や科学では解明できへん怪奇現象が、世の中にはごまんとあるんやろ。これはそのひとつ。
 俺は水地亨が好きである。この信用できない不実な蛇と永遠に生きていくつもり。それで幸せという。
 そんな不思議なことがあるんやって、怪奇現象メルマガの次号に載せてもらわなあかんな。
 いや嘘。絶対載せんといてほしい。つい口が滑ってもうただけ。本気やないねん。誰もそんなんタレ込まんといてくれ。ほんまにお願いやから。
 怖い考えになってもうた。俺がそう思って、目を閉じてると、ガラッと客間の引き戸が突然開いた。
 うわあって、びっくりしてもうて、俺は亨を抱いたまま飛び起きてた。
「なんやねんもう、びっくりするやないか!」
 怒りながら抱きついて、亨はガミガミ俺に怒鳴った。
「人がせっかく、うっとり来て抱きついとんのに、ムードもなんもないなアキちゃんは。ほんまどないなっとんねん」
 お前もそうやろっていう文句を、亨はむちゃくちゃガラ悪い大阪弁でべらべら言うてた。その頭ぐちゃぐちゃの亨を、俺はなんとか自分から引き剥がそうとした。
 戸口に立ってる奴に、でれでれ抱き合うてるところを、なんとなく見られたくなくて。
「おはようございまーす」
 今日は今日で、真っ青な海模様のアロハシャツ着た虎が、にこにこ戸口に立っていた。
「おくつろぎのところ、すんませんけど、朝飯なんで、先生。蔦子さん、待ってるんで、はよ行かんと、何言われるかわかりませんよ」
 すでにもう銜え煙草の虎を、亨はぽかんと見てた。
「派手やなあ、今日も」
「男の夏はアロハやで」
 物凄い真面目に断言してくる虎を、亨はぼけっとして見つめた。
 そして、自分が着てる地味さ重視の服を掴んで、じっと見下ろしてから、また虎を見た。
「そう言われると、俺はなんでこんな大人しい服を着てるのかという対抗意識が芽生えてくるんやけど、どうやろ、アキちゃん」
「その格好でいとけ」
 白いワッフル地のヘンリーネックに、カーキのカーゴパンツを亨は着てた。最大限目立たない。少なくともここのクロゼットにある服の中では。
「無害そうやなあ、おふたりさん。亨ちゃん、蛇革のパンツとかはいといたらいいのに、蛇やねんから。パイソンやでえ」
 虎はあたかも、それがステキであるかのように言うてた。
 そんなんあったんか。今すぐ捨てなあかん。
 さあ行きましょうって背中を見せた虎のアロハに、黄色いハイビスカスが咲き乱れてた。派手やなお前。補色コントラストが目にしみるようや。しかも髪の毛金髪やしな、パンツ白やし。まぶしいんや、お前は。
 亨も何となくまぶしそうな顔して、戸口から消える虎を見送っていた。
 俺はそれに歯ぎしりしたい気分になった。
 お前ほんまに、殺すしな。亨が俺以外のやつと何かあったら、本気でやってまうかもしれん自分を感じる。
 醒めるんちゃうかって、怖かったけど、昨夜お前を抱きながらシミュレーションしたら、7:3ナナサンくらいの割合で、『殺す』に傾いていた。それに俺は一瞬ほっとしたけど、ほっとしてる場合やない。それはそれで地獄絵図やで。
 行こか、って、俺の手を引く亨につれられて、俺は客間を出た。
 そして、気がついた。結局ぜんぜん、霊振会通信なるものを読んでない。それについて蔦子おばちゃまになんて言われるか、想像しただけで怖い、ということに。
 事前に読んどきましたってイイ子面するプロジェクトは失敗に終わった。美形神父のせいで。もしくは、亨のせいで。あるいは、意志が弱すぎる、俺自身のせいで。
 板間に長い洋風のダイニングテーブルが置いてある食堂で、海道蔦子は待っていた。朝からすでにキレてますみたいな、ひどく待たされた顔で。ぶるぶる震え、スポーツ新聞を読みながら。
 そのヘッドラインには、『虎、まさか!?の大敗北』と、黄色いシマシマの大文字が踊っていた。


--------------------------
←Web拍手です。グッジョブだったら押してネ♪

作者あてメッセージ送信
Name: e-mail:  

-Powered by HTML DWARF-