SantoStory 三都幻妖夜話
R15相当の同性愛、暴力描写、R18相当の性描写を含み、児童・中高生の閲覧に不向きです。
この物語はフィクションです。実在の事件、人物、団体、企業などと一切関係ありません。

大阪編(1)

 ピピピッ、と目覚まし時計が鳴り始めた。
 俺は、しまったと思って、びくりと飛び起き、寝ぼけたままの頭で、ほとんど反射的にベッドの隣を腕で探った。
 まだぬくい。せやけど布団はもぬけの空やった。
 やられた。
 くうっと呻いて、俺は布団の中で丸くなった。寝室にはエアコンががんがんに効いていて、夏やのに俺らは羽布団を着て寝ていた。
 そのせいなんちゃうの。暑い言うて、アキちゃんは近頃えらい早起きで、目覚まし鳴る前に起きるうえ、俺が抱きつこうとすると、嫌な顔をする。ひどい話や。
 せやから、夜にやった後には離れて寝ろ言われて押し返され、朝は朝で目覚まし鳴ったらもうおらへん。お陰様で、連続朝やってない記録更新中や。
 案外そのへんが、アキちゃんの作戦なんやないかと、俺は踏んでる。
 ああ。寒っ。なんで寒いねん、夏やのにと思ってムカムカし、俺はベッドサイドの椅子にかけてあった、真っ白いふかふかのバスローブに袖を通しながら、眠うと思いつつ、ベッドに腰掛けた。
 そのバスローブは、アキちゃんのおかんが宅配で送ってきたモンやった。
 俺が昼間、部屋の掃除してたらな。掃除しててん。偉いやろ。なんやっけ。そうや、掃除機かけてたら、家の電話が鳴って、それがアキちゃんのおかんやってん。家の電話にかけてくる奴には、ろくなのがおらへんわ。
 アキちゃんやったら携帯にかけてくるし、着信通知で誰からかかってきたかすぐ分かる。アキちゃんだけ着信音変えてあるしな。ミッション・インポッシブルのテーマ曲やで。だってアキちゃんからの電話ってそんな感じやねんて。
 電話つながるなり、亨か、俺や、今日ちょっと遅なると思うわ、何時になるかわからへん。帰ったらすぐ飯食いたいから、作っといてくれ、って、例えばそんな話やで。何時かわからへん時間にどうやって飯のタイミング合わせんねん。話、変やろ。インポッシブルやで、アキちゃん。
 せやけど俺は優しいから文句も言わへんねん。なんで遅かってんアキちゃんとか、そんなウザい話もせえへんで。にこにこして、美味い手料理食わしたるだけや。
 そんなん今時、女でもしてくれへんで。それやのにやな、暑いぐらいで俺を邪険にすんな。やったあとのお前は汗で濡れてて熱いから嫌やとか、ムードないこと言わんといてくれ。誰のせいやねん、それは。
 って。何の話やったっけ。
 そうや。おかんの電話や。掃除してたら、おかんから電話かかってきてな、あの人携帯使われへんから、固定電話しか信じてないねん。線繋がってへんのに、なんで電話できるんやろか、うち気色悪おすなんつって、未だにアキちゃんの実家、黒電話なんやで。ダイヤルで、じーころじーころ言うやつやで。何時代やねん。
 その黒電話から電話してきはってな、亨ちゃん、家ん中やいうても、裸でうろうろしたら、あかんえ、うちがバスローブ買うて送りましたよって、せめてそれ着なはれ、って言うねん。
 なんで知ってんねん、おかん。
 そう怖気立った瞬間、ピンポーン、いうて宅配の人が来はって、インターフォンのモニターに黒猫の人映ってたから、ドアあけてやって、俺が荷物受け取ったよ。
 そん時はもちろん服着てたで。だって掃除してたんやからな。いくら俺でも素っ裸で掃除機かけたりせえへんよ。
 おかんが送ってくれたバスローブは、俺の分だけやのうて、アキちゃんの分もあったんやで。ご丁寧にイニシャルの刺繍まで、銀鼠ぎんねずの糸で胸んとこに入ってたわ。
 なんでこんなもん送ってきよったんやろ、って、アキちゃんが不思議そうにしとったから、おかんが裸でうろつくな言うてたでって、俺が教えてやったら、アキちゃん泣いてたわ。ほんまに泣いてたわけやないけど、あれは絶対、心で泣いてたと思うわ。バスローブもろて嬉し泣きしてたわけなやいやろ。絶対、くよくよしてたんや。
 アキちゃんが目覚ましより早く起きるようになったんは、その翌朝からやもん。
 自重しよう、みたいな、そういう話なんやろな。自重な。俺が世界一嫌いな言葉のうちのひとつやで。俺は、我慢してるアキちゃんは色っぽくて好きやけど、自重してるアキちゃんは嫌いや。つれないねん。
 そう思って、うっすらむかむかしてると、段々目が覚めてきた。
 腹立った勢いで、裸足のまま、寝室をずかずか出て、バーンみたいにドア開けたけど、アキちゃんはおらんで不発やった。しゃあないから、またリビングをずかずか歩いていって、ダイニングとキッチンがいっしょになってる部屋のドアを、俺はバーンと開けた。
 アキちゃんはなんと先に朝飯を食っているところやった。
 ノートパソコンで朝刊見ながら、眉間に皺寄せた険しい顔して、コーヒーかき混ぜた後のスプーンなめてた。なんかくわえんのは、アキちゃんの癖らしい。他のことに夢中になってるとき、スプーンとか、絵筆とか、とりあえず何か口に入るモンをくわえてると、安らぐらしい。変な癖やで。そんなもんくわえてる暇あるんやったら俺の指でも舐めろ。
「早起きやなあ、アキちゃん」
 ニュース記事見てて、俺のほう見ようともせんアキちゃんにムカついて、俺は嫌みたっぷりに言ってやった。ちょっとアキちゃんのおかんの声真似して。
 そしたらアキちゃんは、うっという顔をして、向かいの席の椅子の背に、手ついて立ってる俺を、恨めしそうに見上げた。
「なんやねん朝から、嫌みな声出して」
 アキちゃんはそう言うと、スプーンをコーヒーカップの皿に置き、また画面に目を戻した。
「俺かて、どうせ出すなら嫌みな声やないほうがええよ。でもしゃあないやん、目覚めたら、ベッドにひとりやってんもん。昨日も一昨日もその前もやで。これで連続十一日やで。頭おかしなるわ」
「心配すんな。お前の頭はもともとおかしい」
 コーヒー飲みながら、まだ画面を睨んで、アキちゃんはそう言った。
 俺はそれに、ブチッときた。
 なんやとコラ。俺が甘い顔しとったら、つけあがりやがって。俺を誰やと思てんねん。お前のツレやろ。俺がおらんようになったら生きていかれへんくせに、偉そうなんじゃ。パソコン睨んどらんで、何とか言え。好きでたまらん俺様の綺麗な顔を見ろ。無視すんな、アキちゃん。無視せんといてえな。
「お前、このニュース知ってるか、亨」
 ノートパソコンをくるりと引っ繰り返して、アキちゃんは俺に画面を見せた。
「え。なになに」
 構ってもらえた嬉しさで、俺はつい、にこにこした。
 立ったままテーブルに頬杖ついて、覗き込んだ画面には、京都市内でも狂犬病、というヘッドラインが表示されてた。大阪に続き、京都市内でも狂犬病の症例が発生、やって。相次ぐ症例に警戒感を強めている。ふうん。
「狂犬病て、犬に噛まれたらなるやつや」
 俺は適当に読んで答えた。昔から時たま流行るけどなあ。またの名を、恐水病やで。
「どの犬でもなるわけやないで。狂犬病に感染してる犬だけやで」
 アキちゃんはネチっこい性格を証明するような口調でコメントしてきた。そんなん知ってるよ。俺も伊達に長生きしてへんのやで。
「それがどしたん。夏やし、いろんな病気が流行るやろ。お祭りしたら治まるんとちゃうか」
 京都の街では祇園祭の支度が着々と進んでいた。
 あれは元々、京都の疫神を追いやるための祭りやで。後ろ黒いやつは、この時期の京都からは逃げたほうが身のためや。俺は今年は平気やけどな。だってアキちゃんが手つないで祭りにつれてってくれる約束やもん。
 うふっ、と思って、俺はにやにやした。アキちゃんは俺の顔見て無くて、それにツッコミもせえへんかった。寂しい。あらゆる意味でツッコミ不足のアキちゃんに、欲求不満や俺は。
「そんなもんなんか、病気って。祭りごときで解決するもんか?」
「信じるかどうかやないのか。だって病は気からって言うやん。おかんに訊いてみ」
 信じてない顔のアキちゃんは、俺ににこにこ言われて、ちょっとむっとしたようやった。
 アキちゃんちは拝み屋で、世が世なら陰陽師おんみょうじでもやってたんやろか。おかんは巫覡ふげきや言うてたけど、何や知らん、とにかく鬼道きどうの家柄らしいで。よくある嘘モンやのうて、おかんにもアキちゃんにも確かにそういう力がある。並みやない。
 常識家のアキちゃんは、子供の頃から、そんな人並み外れた血筋が嫌でたまらんで、ぼんくら息子やってたんやけど、今年は心を入れ替えて、おかんの後を継ぐ決心をしたらしい。おかんはそう信じとる。でもアキちゃんは微妙顔やで。まだどっかで納得してへん。
 悪いけど、おかん。アキちゃんが自分の、ただならぬ力を受け入れたんは、家のためやない。俺のためやねん。去年の冬、クリスマスの奇跡とかいうやつか、そんなガイコクの神さんが、ほんまに日本までカバーしてくれてんのか俺には謎やねんけど、アキちゃんは偶然俺に出会った。そして運命的な恋をしたんで、覚悟を決めたんや。自分も只人ただびとならぬ身で、別にかまへんという居直りや。なんせ俺は人ではなかったし、人を食うような奴や。人の精気を吸わんと、生きていかれへん。そんな俺とずっと一緒にいたかったアキちゃんは、まともな暮らしを諦めたらしい。
 愛の力は偉大やでえ。鏡割りの日の鏡餅並みにお堅かったアキちゃんが、今では一丁前に、鬼道きどうの人や。それでも二十一まで怠けてきたぶん、まだまだ新人やよって、おかんは頑張って修行せえ言うてる。マザコン野郎のアキちゃんは、おかんに言いつけられたら結局それには逆らわれへん。せやけど複雑らしいで。
 インターネットと携帯電話の時代の子やからな、アキちゃんは。怪談は、遊びで友達と話すもんで、マジにとったらアホなんやで。ましてその怪異が、いつも身の回りにあるとなったら、人には言われへん。アキちゃんにとっては恥なんや。俺みたいな、妖怪っぽいのと組んずほぐれつしてんのは。
 それとも、あれかなあ。俺が男やからかなあ。それは。妖怪部分は別にええんやろか。謎やなあ。
 まさかそれで最近、修行しよ思て、家の仕事にも嫌な顔せんと付き合うようになったんやろか。
 おかんが言うには、俺はアキちゃんのしきで、アキちゃんの心がけしだいでは、俺の性別を反転させることなんか訳もないんやって。アキちゃんは俺を女に変転させようとしてんのやろか。
 別にええけど、なんか複雑。だってアキちゃんは、俺が何でもかまへんて、言うてくれてたやん。男でも女でも、鬼でも人でも、俺が俺ならかまへんて。一緒にいてくれ言うてたやん。
「狂犬病のワクチンが、足りへんらしいで。亨、お前は殺しても死なへんのかもしれんけど、出歩く時は犬に気いつけや。噛まれんように」
 アキちゃんは真顔で、優しいんかどうか訳わからんような警告を発した。
「俺を噛もうっていう犬はおらんよ」
 苦笑して、俺は答えた。
 またパソコン見てるアキちゃんに、寂しなってしもて、俺はしゃあないから傍まで行って、座ってるアキちゃんの頭を抱いた。アキちゃんはそれに、気がつかないようなふりをした。耳を持って嬲り、俺の体にアキちゃんの頭をくっつけさせると、アキちゃんはちょっと、心地よさそうな顔をした。
「俺を噛むのはアキちゃんだけやろ」
「噛んだりせえへんやろ」
 往生際悪く、まだパソコン触ってるアキちゃんの返事に、俺はくすくす笑った。
「そうやな、アキちゃんは舐めるだけや。せやけど俺は病気んなったで」
「なんやねん病気って」
「アキちゃん恋しい病」
 にこにこ俺が教えてやると、アキちゃんは照れたような仏頂面になった。
「朝からなに言うとんねん、アホか」
「アホやなんて、ひどいなあ、アキちゃんは。ほんまに恋しいねんで。最近、ずいぶんつれないやんか。前は朝でも昼でも、抱いてくれてたのに。もう飽きてきたんか」
 切なくなって、俺がアキちゃんの頬を撫でると、もう髭剃ったあとの匂いがしてた。もう出かけるんか、アキちゃん。まだ七時やで。早すぎへんか。
「飽きてへんよ。ただちょっと……やりすぎもどうかと思て」
 案の定なことを、気まずそうに言うて、アキちゃんは目を逸らしていた。
 アキちゃんは俺が、色狂いや言うて困ってた。朝から晩まで、抱いてくれ言うて迫るもんで、アキちゃんは参ったんやろう。それに付き合ってたら、自分まで変になる。そう思えて怖かったんやろう。皆そうやで、俺と付き合う奴は。怖いけど、やりたいねんで。せやけど普通は体が保たへん。のべつ幕無しに精気吸われたら、並みの人間やったら、そのうち死んでまうやろ。
 せやから俺は、ひとりの相手とずっと付き合ったりせえへんようにしてきた。常に何人か侍らして、その日の気分でとっかえひっかえや。朝やって昼やって、晩には別のと寝てることもあったで。そうでないと寂しいて、身が保たへんような気がしててん。
 それがアキちゃんとデキてからは、アキちゃん一筋やで。せやから俺も心配は心配やねん。大丈夫かなって。俺はアキちゃんを、食い尽くしてしまうんちゃうやろかって。
 けどなあ、アキちゃんの血筋は伊達やないで。どうもアキちゃんは、どっかから無尽蔵の力を吸い上げてるみたいやで。それこそ巫覡ふげきってもんかな。万物との交感や。アキちゃんのおかんもそうやけど、山川草木の持つ霊気を、借りることができるらしい。それと一体になって、神下ろしできる。おかんはアキちゃんにも、その極意を学ばせたいらしい。
 俺みたいなのと一緒にいたいんやったら、そのほうがええな。でないと吸い尽くされてまうよな。俺もそんなことはしたくないけど、精気を吸わんでは消滅してしまう。俺も生きるために食うてるんや。アキちゃんが、他のと寝んといてくれ言う限りは、アキちゃんから貰うしかあらへん。血でも肉でも精液でも、なんでもええけど。まさかいくら好きやから言うて、アキちゃん食うてもうたら、いなくなる。それは困るし、せやからしゃあない、ベッドでお戯れするんでええわっていう話やん。別にベッドやのうてもええんやけど、俺は。
「アキちゃん、やりたい。舐めてもええか」
 切ないのが、苦しいように思えてきて、俺は抱いていたアキちゃんの頭に、身を折ってすがりついた。そうやって抱き合うだけでも、アキちゃんから何か暖かいもんが流れ込んでくる気がする。せめてそれだけでも貪りたい気がして、俺は強く抱いてた。
「腹減ったんか、亨」
 そう訊いてくるアキちゃんが言うのは、俺の分もある朝食のことやない。アキちゃんはもう、俺がどういうモンなんか知ってる。出会ってからのこの半年で、俺はいろいろアキちゃんに話した。抱き合いながら。話すともなく、ちょっとずつ。
 体が繋がってる時やないと、怖くて話されへんかった。人ではない、お前は嫌やと、アキちゃんに拒まれるんやないかと思えて。でも、そんなわけない、アキちゃんは俺が好きなんや、受け入れてくれる。どんな俺でも、ちゃんと抱いてくれる。そういう気分がごちゃ混ぜになって、苦しくて、愉悦が入ると自然に口が開いた。
 俺はアキちゃんの精気を吸ってるんやで。今まで数えきれんぐらいの奴を、こうして食うてきたんやで。後悔したけど、やめられへんかったんや。そうせんと俺は消えてしまうんやもん。いつかはわからへんけど、力が尽きたら、消えてまう。死にたくないねん、アキちゃん。浅ましいかもしれへんけど、俺は死にたくない。アキちゃんとずっと一緒に居りたいねん。
 そう言ってよがる俺を抱いて、アキちゃんはいつも、俺だけにしろと言う。貪ってええけど、俺だけにしてくれ。他のと抱き合おうとせんといてくれ。欲しいだけしてやるから、俺を裏切るなって。
 でもそれで、ええんかな。アキちゃん死んだらどうしよう。
 精気吸うのは他のやつからにして、アキちゃんには与えるだけにしたい。俺は人から集めたもんを、まとめて誰かにくれてやることもできるんやで。それによって強運が得られる言うて、俺を神のように崇めるやつらもいる。ご神体と交わって、運をつけようっていう連中や。人の血を吸う俺みたいな化けモンから、精を絞ろうっていうんやから、相当の化けモンみたいな連中やで。
 せやけど俺の血やら精やら口にしてると、だんだん俺と同化する。ほんまもんの化けモンになってしまう。それに耐えられる奴はまれや。それはそれで、だいたい頭おかしなって、体もおかしなってきて、最後は悲惨やな。並みの人間程度じゃな。
 俺は抱き合ったアキちゃんの、頭のつむじを見下ろした。
 アキちゃんやったら、どうやろ。
 もしかしたら、平気なんとちゃうか。
 俺と同じ、永遠に死なない体になって、俺と本当に、百年でも千年でも、ずっと一緒にいてくれるかも。ずっと俺を、抱いててくれるかも。
 そう思うと、喉が喘いできた。アキちゃん食いたい。アキちゃんに、食われたい。血肉の一滴まで混じり合って、一心同体のものとして、永遠に生きたい。
 それは俺の貪欲か。けど誰かてそうやろ。誰かを好きになったときは。
「腹減ったわけやないけど、アキちゃんが欲しいねん、俺は。ずっと抱いててほしいんや。おかしいか」
「おかしないけど、おかしいわ……」
 苦笑して、アキちゃんはバスローブの裾を割って、俺の内腿を撫でた。ぞくぞくした。
「昨日の夜やったばっかりやろ。夜は毎晩やってるんやで、亨」
「足りひん、それだけやったら。ずっと抱いといてくれへんかったら、寂しいねん」
 お前はほんまに、どうしょうもないやつやなあと、アキちゃんはぼんやりと言った。そして、着てるものの前を開かせて、俺を舐めた。
 喘ぎが漏れて、俺はそれを堪えようとした。ひとりで悶えると、なんか恥ずかしかった。アキちゃんと一緒にでないと。声うるさいって、いつも言われる。そういう時のアキちゃんは、ちょっと意地悪で、お前の声はうるさいなあって俺を笑って、それでももっと責める。たぶんアキちゃんは俺が声出すのは好きなんや。それを聞きながらやってる。だから今も、聞いてるんやろ。だから余計に、恥ずかしいような気がするねん。
「アキちゃん、嫌や、俺だけ気持ちよくせんといて」
 上手いなあと思って震えながら、俺はアキちゃんに頼んだ。
 前は下手くそやったのに、上手くなったなあ、アキちゃんは。そらそうか。半年間、毎日毎晩やってれば、上手くもなるか。アキちゃんは、俺が悦ぶのが気持ちいいらしくて、いつも悦ばせようとしてくれる。アキちゃんの気分が燃えてたら、一晩に何遍もいかされて、まさに昇天する心地やで。
 けど俺は、自分だけいったら飢えんねん。知ってるはずやろ、アキちゃん。交歓せなあかんねん。お預け食ったら体が飢えるけど、アキちゃんにお預け食わせたら、もっと飢えんねん。
「抱いてよう、アキちゃん……」
 なんか本気らしい舌使いに、俺は泣いた。朝は弱いねん、俺は。一発抜いてから、もう一回してくれんのか。そういう感じが全然せえへんのやけど。アキちゃん。
「やめてよ、そんなんしたらあかんわ。俺、保たへんよ、アキちゃん……」
 でも、あんまり気持ちいいもんで、くわえられてんのを無理に離そうとは思われへんかった。捕らえられてんのは俺のほうで、アキちゃんやないって、そういう気がする。こういう時にはいつも。アキちゃんにしてもらうと、なんでも気持ちいい。こうして舐められんのも、手繋いで寝るのも、触れるだけのキスでも、ただ見つめ合うのでも、暖かい力に浸されてる感じがする。ほんまはただ傍にいるだけで、俺は飢えへんのかもしれん。でも、それだけやと切ないねん。それはもしかしたら俺が、血を吸う外道やのうても、みんなそうなんかもしれへん。ただアキちゃんが好きなだけで、俺が化けモンやからやない。ただ好きなだけなんや。
「アキちゃん、もうイキそう……抱いてくれへんの。後でしてくれるんか……」
 我慢しながら、俺が訊くと、アキちゃんは俺を舐めながら答えた。
 学校行かなあかんねん、用事があるんや、と。
 やりながら喋らんといてくれ。ああもう、あかんやん。
「アキちゃん、もうあかん、やめて……やめて」
 アキちゃんの顔を両手で掴んで頼む、俺の声は半分悲鳴やった。やめさせようとしてんのか、もっとやってくれ言うてんのか、自分でもわからへん。たぶん両方やった。
 もうやめなあかん。アキちゃんの口ん中でいってまう。それだとまずい。アキちゃんの中に出てまうやん。でも、それを、やってほしい。俺のこと、飲み干してほしい。それって。何なんやろ。なんでそう思うんやろ。俺が男やからか。それとも、アキちゃんを我がものにしたい化けモンやからか。それとも、ただ、好きやからか。
「アキちゃん、もう我慢でけへんよ……やめて」
 やめて、と、ずっと呻いてたような気がする。長かったんか、一瞬か。アキちゃんは許してくれへんかった。たぶん、わざとなんやろ。俺を責めて、我慢でけへんようにした。
 堪えきれへんかった最後の声が出て、首筋にエアコンの風を感じた。お前は熱いと、この家までが俺に言うてる。燃えすぎや、お前は。恥ずかしないんか、亨。そんなに乱れて。
 そんなアキちゃんの意地悪い声を耳の奥に思い出しながら、俺は結局、最後の一滴まで、アキちゃんに吸われた。それはめちゃくちゃ気持ちよかった。立ってる足がわなわな震えた。終わってもまだ気持ちいいくらいやった。死にそう。気持ちよすぎて。アキちゃんに何かしてもらうのは、いつも、ものすごく気持ちいいんや。俺、愛されてるって、そういう気がして。
「アキちゃん……飲んだらあかん」
 切なくはあはあしながら、俺は唇を離しても腰を抱いてくれてるアキちゃんの、まだ何か口に含んだような顔を見て、どうしようもなくおろおろしてた。でもアキちゃんは涼しい顔してた。そのままテーブルにあったコーヒーカップをとって、アキちゃんはコーヒーを飲んだ。ごくりと喉が鳴るのを、俺は倒れそうな気持ちで見てた。
「もう冷めてたわ」
 なんてことないような口調で、アキちゃんは言った。そして、ぺろりと唇を舐めた。
 コーヒーのことやろ。俺は腰がくだけそうやった。
「なんでそんなことするのん」
「お前がいつも美味そうに飲むから、実は美味いんかと思って」
 う、美味いわけないやん。それとも美味かったんかと、俺は思わず訊いた。なんか期待してたんかもしれへん。アキちゃんが、美味かったと言うのを。
 でも、こいつが、そんなこと言うわけあらへん。意地悪なんやで。それに、つれない。
「不味いわ」
 きっぱりと、アキちゃんは言った。そして、テーブルにあったティッシュで、口を拭いた。
「次は熱くて美味いのれといてくれ」
 コーヒーのことなんか。それ。照れ隠しなんか、アキちゃん。
 俺、泣きそう。
 俺のはだけた服を直して、それからパソコンを終了させて、アキちゃんは立ち上がった。飯はもう食い終わったらしかった。
「俺もう出かけなあかんわ」
「まだ八時にもなってへんのやで。それに、まだ抱いてもらってへん」
 泣きつく口調で俺が言うと、アキちゃんは食った皿をキッチンに持っていきながら、苦笑みたいな笑い声をたてた。
「時間ないねんて」
「ほんなら俺も舐めたるわ。つらいやろ」
 お前も興奮してるやろと、俺は親切で言ってやったんやで。だって真顔で何にもなしで、あんなことできるか。アキちゃんかて、欲も肉もある生身の体やで。
「俺はいいわ」
 食洗機の蓋閉めて、アキちゃんはけろっと言った。
 そして、キッチンから出てきて、テーブルから閉じたノートパソコンをとると、そばの椅子にあったキャリーケースに入れた。持ってくんか。どこにでも持っていくんやな、それ。パソコンおたくか。
 それでのうても最近のアキちゃんはパソコンさんと仲良しやった。家にはタワー型のPCもMacもあったし、さすがは金持ちのボンボンやで。書斎がございます。アキちゃんは絵描きで、まだ美大行ってる画学生のくせに、絵を描くための部屋と、それとは別に、パソコンやら本やら置いてる書斎がある。最近めっきり、その書斎のほうにお籠もり様や。
「俺はいいわって、よう平気やな。むかつくわ!」
 目の前に立ってる、どことなく恥ずかしそうなアキちゃんに、俺は怒った。
「平気やないけど、時間ないねん。夜してくれ」
 照れた顔で、アキちゃんは小声で言った。小声で言わんでも誰も聞いてへんのに。
 その、ちょっと俺が好きみたいな顔を見て、俺は若干、ふにゃふにゃになった。あかん。すぐデレデレしてまうで。しゃきっとせなあかん。格好つかへん。俺は美形なんやから。
「キスして、せめてキス」
 しゃきっとは無理やった。この上なくデレデレして、俺はアキちゃんに頼んだ。
 アキちゃんはお願い聞いてくれた。ただ触れるだけやったけど、あったかい唇が、俺の唇に重なった。
 それだけで胸キュンなんやで。困ったもんやな。恋ってやつぁ。
「アキちゃん、学校なんやろ。俺も後から行っていいか」
「ええけど、俺は今日はCG科におるからな。作業棟やないで」
 アキちゃんはそう言い渡して、つかつかとダイニングを出ていった。そのまま出かけるみたいやった。ちょっと待って。行ってらっしゃいのキスは。玄関で、あなた行ってらっしゃい、みたいな。行ってくるよハニー、みたいなな。そういうのやらへんのか。
 俺が焦ってそう聞いたら、アキちゃんは歩いていきながら、俺にちゃんと聞こえるよう親切な大声で、アホかと叫んだ。
 アホや、俺は。悪いか。
 俺が好きや言うくせに、アホにならへんお前が薄情なんじゃ。
 俺はそう叫んだけど、アキちゃんはもう聞いてへんかった。キッチンにあるホームセキュリティの操作盤が、それを教えてくれた。解錠された玄関ドアが閉じて、また施錠されたことを。
 ご主人様はお出かけや。
 ああもう、なんやねんアキちゃん。中途半端にムラムラするわ。まあなんか一応スッキリ、みたいな感じではあるけどもや。それでも俺は寂しかった。アキちゃんと抱き合いたいねん。汗まみれで。汗部分イヤなんやったらエアコンがんがんでもええから。とにかく深く抱き合いたいねん。
 なんでわかってくれへんのやろなあ、うちのご主人様は。
 やれやれ、と嘆かわしく思って、俺はとりあえず朝飯食うことにした。アキちゃんの手料理やで。トーストと目玉焼きとサラダやけど。コーヒーも豆から挽いたやつが、たっぷり淹れてあんで。アキちゃんはコーヒー党やねん。でも俺は紅茶党なんやで。
 せやけど、しっかり、朝飯にはコーヒーが定番になってもうたわ。
 それだけでも、明らかに、力関係出てるやろ。俺はアキちゃんにめろめろやねん。それでアキちゃんが、いまいちめろめろやないことが、ちょっと切ないねん。
 そんな甘く切ない気持ちで、今日も一日スタートや。
 飯食ったら後片付けして、アキちゃんに昼飯持ってってやろうかなと、俺は思った。学食の飯でもええけど、ふたりっきりで食いたいやん。
 うっふっふ、と俺は想像して笑った。想像の中のアキちゃんは、もちろん俺にめろめろやった。最上級にめろめろやった。アキちゃん本人に見られたら、たぶん、どつかれる程度には。
 せやけど、ええやん。想像の中くらい。俺の好きにさせて。だってあの堅物が、ほんまにめろめろになるわけないやん。そんなんもう俺は諦めてる。でもちょっと、どこかで期待はしてる。
 亨、お前が好きやって、アキちゃんがめろめろになってくれたら、俺は幸せや。その目とずっと見つめ合ってられたら。きっと今よりもっと幸せになれる。
 そんな日が、いつか来るんか。それはまだ、神のみぞ知るや。どの神さんか、知らへんけどな。
 そう思って俺は笑い、自分のぶんのコーヒーを入れにいった。


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